ネズミの教えについて

世界で最も尊敬すべきネズミ、グリクレル女史が川上弘美『七夜物語』において非常に大事な教えを示してくれている。新聞連載の時に読んだきりなので物語のどの辺だったかは忘れたが、彼女が主人公の子供達に「洗ってから水を拭き取って食器棚に収めるまでが食器洗いである」と厳しく指導する場面があるのだ。

ここへ来て最初の数日はひたすら部屋の掃除をしていた。食事をしようと思って備えつけられていた食器を使おうにもなんだか薄汚れている。いや、薄汚れているとかいうレベルではない。前の住人の生活能力に重大な疑問符が付くような汚れ方である。そこで食器を洗おうにも水切り棚も汚い。では水切り棚をバラして洗おうかとすると今度は流し台が汚い。

また、鍋やフライパンを取りだしてみると把手にガタがきている。到着翌日の朝、まず行ったのは、かなり以前に大学の先生から戴いたLEATHERMANのツール(十徳ナイフのようなものである)に備えられたドライバーでこの把手を締め直すことであった。

そしてシャワーを浴びようにもシャワー室の汚れがもう長年放置された廃屋のレベルで、それを洗おうとしたら案の定ドレーンが詰まり気味で……などというように遡っていって結局ほぼすべての場所を掃除するのに三日ほどかかった。気になる場所がなくなって完全に落ち着いたのは一週間ほど経ってからのことである。

この部屋の賃貸契約においては、半年ごとに部屋のクリーニング代を払うことになっていたのではないかと思う。ただ、私が入ったとき、シーツやタオルだけはきれいな状態で準備されていたものの、それ以外のところで前の住人が出た後に清掃が行われた形跡はない。この辺りの適当さもイタリアならではのものである。

それはそうと、特に苦労させられたのはコップの水垢だった。周知の通りこちらの水はとんでもないレベルの硬水である。ヴェネツィアの水はアルプスに由来する水であり、飲用に供しても問題ないほどのものだという話なのであるがそれはともかく、コップを洗って水切り棚に伏せておくと、底の外側にたまった水のミネラル分がどんどん凝り固まっていくのだ。さらに業腹なことに、コップの底のデザインも水の溜まりやすいようにできている。内側をきれいにするのは比較的簡単だったが、ガラスのコップというものは当然のこと、飲んでいる最中に外側が透けて見える。何度か気まずい思いもしながら、物によっては20回以上洗ったのではなかろうか。その度毎に前の住人を呪いながら。

水切り棚の汚れもシャワー室の汚れも大半はミネラル分である。だから掃除において最も肝心なのは最後の拭き取り作業なのだ。ヨーロッパのような硬水の地域においては、冒頭に掲げた教えが特に重要であることを思い知ったのである。

ずっと入れようとは思っていたのだが、やはりこの本は辿空文庫(3月まで働いていたところで、生徒に読書を促すために作った本棚)に入れておくべきだった。私の手が離れた後、本の管理をしてくれているというお二人は元気でやっているだろうか。