商人について

アパルタメントには足りない道具も沢山あり、例のRATTIという雑貨屋を教えてもらってからあれこれと買い揃え、また食材も整ったところでやっと料理ができるようになったのは何日目のことだったろう。日本である程度イタリア料理の練習もしていたので必要なものも手順も分かってはいるが、何しろ最初は他の生活用品も買いながらであったので、一通りのものが揃うまで結構かかったような気がする。当然車が使えないので一度に沢山のものが買えず、また最初は店の商品の配置もつかめないので、ちょっとずつ見つけていくほかはなかったのだ。

ヴェネツィアには例の「アドリア海生活協同組合」の他にCONADというスーパーが点在している。大学の近くで違う名前のスーパーも見つけたが、基本的にはこの二つでほぼ勢力を二分しているようだ。ちなみにイタリアでもっとも大きなチェーンはまた別のものらしく、それも一軒、用事があって本土の方に行ったときにバスの中から見かけたが、しかし今のところ島内では見かけない。日本でもそうだが、スーパーというのは地域性があるものなのだろうか。

そんなことはどうでもいいのだが、この島の中ではどちらの店も売り場スペースに制約がある。すると当然割りを食うのは通路である。それはもう狭い。なのにイタリアの買い物カゴは、面白いことに取っ手を展開させたうえで地面を転がして移動させるという形式になっており、すれ違うときなどはかなりやりにくいことになる。手持ち用の取っ手もちゃんとあって私はほぼそちらを使うのだが、実際そうしている人はあまり見ない。何故かというと、買い物中にカゴから離れる機会が多いからである。だったら最初から地面に置いておけということだろう。

こちらのスーパーでは野菜も肉も量り売りである。肉については精肉店とほぼ同じなので想像が付くだろうが、難しかったのは野菜であった。それらはとりあえず大きなカゴに山と盛られて売り場に置かれている。店によって一箇所か二箇所、ビニールの手袋と袋が置いてあり、その側に秤と一緒になった端末がある。

まず手袋をして袋を一枚取り、野菜を必要なだけ袋の中に入れる。その際、カゴの価格表示の札をよく見て商品番号を覚えておかねばならない。そのうえで端末のところへ行き、秤の上に商品を載せてから商品番号を入力、すると重さに応じた値札のシールが印刷されて出てくるので、それを袋に貼ってレジへ持っていくという手筈である。

少し考えればいくらでも不正が通りそうな仕組みであるが、ちょうどいい量に個別包装するコストを考えれば引き合うとでもいうのだろうか。それとも、人肉すら目方で金に換えるイタリア人は量り売りに強いこだわりがあるとでもいうのだろうか。

ともあれ、最初はこの仕組みがよく分からなくて困った。狭い店内では他の客が買い物をしているのを観察する機会もそうそうあるわけではなく、仕方ないので二回目くらいにCONADの店員に聞いたら丁寧にやり方を教えて貰えたが、それでも慣れないうちは手袋をしている方の手でシールに触ってしまったり、貼り方が悪くてレジでバーコードが読めなかったりと、幾度も失敗をしたものである。

そういえば基本的にイタリアの店員は愛想がわるい。西洋人はあまり表情を動かさないような気がする(これに関してはそのうち別のところでも話題にするかもしれない)のでそのせいかもしれないが、やはり日本とはサービスに対する姿勢が違う。ところが、私に野菜の買い方を教えてくれた店員は非常に丁寧でいつも愛想がよい。ついでに若くてイケメンである。

どんどん話がそれるが、イケメンかどうかは措くとして、スーパーの店員には若い男性が多い。リストランテのサービス係(カメリエーレという)や土産物屋などでは移民系の人がかなり目立つのだが、この若者達はまず間違いなくイタリア人である。そして毎回同じ人を見かけるので、どうも学生のバイトというわけでもなさそうである。

日本にいた頃、BSで「小さな村の物語 イタリア」という番組をよく観ていた。地方の村に暮らす人々に焦点を当て、観光案内とはひと味違うイタリアの日常生活を紹介するという番組なのであるが、そこにかなりの頻度で年金生活のお年寄りと、そこにパラサイトする無職の若者が出てくる。「若者の失業対策と老人福祉の話が云々」とは以前書いたけれども、とにかくこの番組、制作者の期待に添うかどうかは別として、確かにイタリアの実情を映し出しているもののようであった。

何が言いたいかというと、彼らはそれでもおそらく充分に勝ち組に入るのではないかということである。スーパーの店員を貶下するのではないけれども、例えば件のイケメンは最初イタリア語で説明してくれていたのが、私がその後の雑談についていけなかったところで即座に英語に切り替わった。ヴェネツィアで観光客を相手に働くには英語が必須だけれども、イタリア人なら誰でも英語が話せるというものでもない。おそらく大学を出ているであろういい若者(イタリアの大学はそう簡単に出られるものではないはずだ)が、もったいない使われ方をしているなと思った。

日本に帰ったところで無職になる私が心配するのもおこがましいのではあるが。

あれが安いとか、こんなものが売られているとかいうことを書こうと思っていたのだが、どうも話題が同じ方向へ偏るようである。機を改めて。