カッフェについて

イタリア語でコーヒーはcaffèという。カフェではなくてカッフェ。最後にアクセントがあるので始めは違和感があったがさすがにもう慣れた。こちらではエスプレッソが主流なので「Un caffè, per favore.(A coffee please.)」と頼むとエスプレッソが出てくると何かで読んだのだが、今のところ実際にそういう頼み方をしたことはないので本当かどうかは分からない。だいたいヴェネツィアは観光地なので、客は余所者であることが前提である。イタリアならではの頼み方をさせるようにできていない。

ヴェネツィアには世界最古のCaffè Florianという超有名店があるのだが、そこにはまだ入ったことがない。前を通ったことはいくらでもあるが、サン・マルコの辺りはいかにも観光地然としていて落ち着かないので、ここでゆっくりしようという気になれないのである。まったく、わさわさうろうろざわざわと観光客が目の前を往来するサン・マルコ広場のテーブルで、ありがたがってカップッチーノを飲んでいる人の気が知れない。豪華な内装の店内に入ってしまえばいいのかもしれないが、それではまた違う意味で落ち着かない。朝早くならまだなんとかなりそうではあるが、わざわざそんなところまで行って朝食を、という気にもならない。

さて、こちらのアパルタメントには当然のように直火式のエスプレッソメーカーが備えてあった。機械式の方がいいに決まっているのだが当然それなりの買い物になるし、なによりこのアパルタメントにそんな大層な機械を置くスペースはない。それは別に構わないのだけれども、このエスプレッソメーカーも最初の頃に書いたように何かと問題のある先住民から受け継がれた道具である。やはり苦労させられた。

コーヒーというか、茶道具というのは基本的に洗剤とスポンジを使って洗ってはいけない。洗剤の香りが邪魔になるから、というのはしかし昔の話である。最近のものであっても環境に配慮した石けんタイプのものならそういうこともあるが、今時の洗剤はきちんと濯いだら香りが残るようなへまはしない。イタリアの洗剤とて同様である。

アルミの器具ならほっといてもできるものなのだが、コーヒーの場合は道具の表面に酸化皮膜を形成するのでそれを落としたくないということであろうか。嗜好品であるからしてそこには思い込みの効果が多分に作用する。科学的に正しいとか正しくないとかいうことは考えてもあまり意味がないが、ともあれ道具は水だけを以て丹念に洗わなければいけないとされる。

丹念に洗わなければいけない。洗剤を使ってはいけないというのは洗剤を使わなくていいという意味合いではなく、したがって水でさっと流せばいいということではないのだ。先住民には一度会って説教をする必要があるかもしれない。

備えられていたエスプレッソメーカーには細かい部分にびっしりとコーヒーの粉が固着しており、それが酸化して、悪臭とまではいかないものの微妙な匂いを発していた。また、蓋が上手く開かないのでどこかをぶつけたかして歪んでいるのかと思ったら、ヒンジ部分に浸み入ったコーヒーが乾いて詰まっているのであった。

一瞬、捨ててしまおうかと思ったが、仮住まいのものを勝手に処分するわけにもいかない。最初の頃は時間を持て余していたということもあり、新品に戻すようなつもりで洗剤とスポンジで汚れを削り取り、これなら使ってもよいと思えるまであらゆる手段を講じてひたすら洗った。

ちなみにアパルタメントには大小二つのエスプレッソメーカーが備わっている。普段使っているのはサイズの小さい中国製の安物、そしてもう一台は5-6人用の大きなものである。こちらはイタリア製。日本を発つ直前に三宮の「いたぎ家」で飲んでいたときのこと、イタリアへ行ったらムーミンのパクリみたいなキャラの書かれたエスプレッソメーカーばっかり並んでいる、と弟さんが話していたのだが、まさにそれであった。BIALETTIというメーカーのもので、確かにムーミンに似た変なおっさんが右手の人差し指を高々と突き上げた絵が描かれている。街中で見ると同じサイズの中国製のものより概ね€10くらいは値が張るが、無論のことこちらの方が造りがいい。

このアパルタメントに必要な大きさだとは到底思えないのだが、どういうわけかこちらの大きいものも頻繁に使われていたようで、同じように汚れていた。ただしフィルターが歪んでいる(アルミ製なので下手に扱うとすぐ歪む)のでこのままでは使えない。各部品は個別に売っているのでフィルターだけ買いなおして使おうと思えば使えるのだが、私には使う機会がなかろう。それでもとりあえず徹底的に洗って再生しておいた。

道具が整ったら次はコーヒー豆である。アパルタメントには結構な量の粉が残っていて、これがいつ購入されたものだか不審ではあったのだが、しかし特に変な香りがするということもない。同じように残されていたオリーヴオイルと自分の買ってきたオイルを見比べてみたところ消費期限が同じであったので、先住民は私の入る直前までここで暮らしていたものと判断し、このコーヒー豆も捨てるのは思いとどまった。調達先がはっきりするまではこれでしのぐことにする。

もちろんスーパーで売っている豆などは使う気にならない。最初に見当を付けたのはマ氏から教えられたヴェネツィアーノおすすめの店、アパルタメントのすぐ近くにあるCaffè del Dogeという店である。

街中のパスティッチェリア(菓子屋)のショーウィンドウなどにもこの店のロゴが入った粉が並んでいて、どこでも買えるようではあったが、近いことでもあるしとりあえずカフェの方へ行ってみる。入口のステッカーの年号が目に付いたのでよく見てみると、雑誌だかなんだかでカフェのランキングがあるのだろうか、それに選ばれたというようなことを示すステッカーがいくつも貼られていた。

それを見て、ちょっと私の狙いとは違ったかな、と思ったものの、とりあえずエスプレッソを頼んで店内を観察。小綺麗な店であるし、リアルトの中心とはいえ少し路地を入ったところにあるので場所も申し分ない。ただし有名店なので、時間帯にもよるが客は多い。

当然ここでも粉を売っていたので、あのコーヒーの粉(caffè macinato,カッフェ・マチナート)も欲しい、と言ってみる。粉はショーケースに陳列されていて、開けるのに手間取っていた。あまりここへ来てこれを買って帰る人はいないようである。味の方はというと、まあ、最初に残されていたものより幾分かはましであるものの、という程度だった。パック詰めの粉は結局どれも似たり寄ったりである。有名店の名を冠しているとはいえ、その店で飲むのと同じ味が期待できるはずもない。

大学の読書室(共同研究室)でコーヒーを淹れなくなったのでここ数年は足が遠のいているが、神戸ではマツモトコーヒーという店で焙煎し立ての豆を買ってきて、毎回挽くところから始めていた。やはり自前で焙煎をやっているような店を探さねばなるまい。古来のカフェ文化を守り続けるこの街にまともなコーヒー豆店がないはずはない。

情報はもう一人の派遣者である先生から入った。カンナレージョの方にいい店があるという。だいたい何もかも頼りっぱなしではあるのだが、お住まいの関係で特にこの地区に関する情報にはお詳しいのである。

TORREFAZIONE CANNAREGIO(カンナレージョ珈琲豆店)という何の衒いもない名前のその店は、教えられたとおりPonte delle Guglieのすぐ近くに見つかった。表には1930という創業年が書いてある。店内へ入ると生豆を輸入する際に使われる麻袋がいくつも壁際に置かれており、立ち込める新鮮な豆の香りが何故か懐かしい。やはりコーヒーはこれでなくてはいけない。この店はその場でコーヒーを淹れてもらうこともできるのだが、この日はヴェネツィアへ来て初めてcaffè freddoを頼んだ。これは直訳するとアイスコーヒーということになるが、まず氷が入っておらず、そしてタイミングの問題もあったのかもしれないが、日本のものほど冷やされていない。

ちなみにこの時期どこでもおすすめされるのは、シェケラート(shakerato)という言語学的に面倒な名前の飲み物である。shakeという英語をイタリア語の動詞化(shakerare)してその過去分詞形、という成り立ちの言葉らしいが、コーヒーと砂糖と氷をシェイカーに入れて作るものだとのこと。バニラやクリーム系のリキュールが入ることもあるようだ。後から自分でお好みの量を、ということができないので、頼むのと同時に砂糖の量を聞かれる。

それはそうと、久しぶりにまともなコーヒーを味わいながら、おすすめの豆は、と店の人に聞いてみた。するとこっちの豆はアラビカ種でどうのこうのという説明が始まった(前の客にも同じ説明をしていた)が、そんなことは産地の名前を見ればほぼ見当が付く。そうではなくて、エスプレッソとの相性について知りたかったのだが、それ以上に質問を重ねられるほど私は器用に話せない。

こういう場面に出くわす度に、あのときはどう言えばよかったのだろう、と家へ帰ってから復習する毎日である。最初の頃よりは反射的に答えられる場面も増えてきたのではあるけれども。

このときも仕方がないので一通り言わせておいてから、とりあえずはくせの少ないものを、とコロンビアを200g買い求めて帰った。エスプレッソの探求もイタリア語会話の上達もまだまだ先は長いようである。