水面に映る灯について

一週間ほど前のこと。こちらではレデントーレの祭があった。その由来などは検索して他で見てもらった方が早いので省く。日程はだいたい7月の第3日曜日ということになるのだったか。その日曜日がメインで土曜日はその前夜祭ということになるのだが、前夜祭の方が盛り上がるのは日本でもすっかり定着したキリスト教の祭日と同じである。

その前夜祭で花火が上がるというのが有名らしく、またカルネヴァーレに次ぐヴェネツィアの一大イベントと聞いては見逃すわけにはいかない。些か潤いには欠けるが、同時期にこちらに派遣されてきた縁で何かというと一緒に行動する三匹のおっさん(全員日本人)で花火見物に繰り出そうということになった。

花火はジュデッカ運河に据え付けられた台船から打ち上げられる。ということは、当然ではあるが、ヴェネツィアの中心であるサン・マルコ広場周辺、スキアヴォーニから見るのが一番だということになる。先日マ氏に聞いたところによると、ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世の像の台座に登って見物すればよく見える、若い奴らは台座のもっと上の方まで登ったりするんだ、という話だったが、そういうことは勢いのある人たちに任せよう。私たちは歳を取ってひねくれているので、人が多く集まるであろう場所は避け、ザッテレの方へ向かうという手筈を立てた。

それはそれとして、その混雑ぶりがどういうものなのか一目見ておきたいので、夕食の約束の一時間以上前にアパルタメントを出て、一人サン・マルコ広場に偵察に行ってみた。しかし六時前後のサン・マルコ広場は普段とそう変わりはない。

拍子抜けしてアカデミア橋を渡るが、サルーテ教会の辺りまで行ってみるとだんだんそれらしくなってきた。観光客はまずサン・マルコ広場へ向かうであろうから、ここら辺を狙うのは慣れた地元の人たちなのであろう。場所取りのシートが隙間なく敷き詰められている。サルーテ教会辺りの島の先端、Punta della Doganaといわれる場所にいたグループなどは早くも盛り上がっていたが、だいたいの人はただ寝っ転がっていたり、本を読んだりして時間をつぶしているようだった。

ザッテレまで進み、明朝のメインイベントでドージェがレデントーレ教会まで渡っていくという仮設橋のところまで行く。今はこの橋を架けるのにイタリア軍が動員されるのだそうで、橋脚となる台船を数箇所に配置したうえで、がっちりとした立派な木橋が架けられている。但し元来この橋は沢山の船を繋げて作るものであったという話で、それにちなんでいるのだろう、橋の周辺を埋め尽くした見物客の船が互いに綱で連結されていた。

このように伝統を大切にし、それに誇りを持って忠実に記憶していこうとする人々がイタリアにはいくらでもいるのだから、昔ながらのやり方で橋を架けようとしても皆喜んで協力するだろうに、とも思うが、そんな橋を作ったらジュデッカ運河は完全に通行止めとなってしまう。巨大なクルーズ船などは当然無理だが、現代の仮設橋は小さい船なら下を通れるように作ってあるのだ。お祭りのためであっても一瞬たりとて経済活動を止める訳にはいかない。いやむしろここで稼がなければいけない。世知辛いものである。

橋の袂は動けないほど人が集まっているので通り抜けることもできない。迂回して待ち合わせ場所へ向かうが、すれ違う人を見ていると大きく膨らんだスーパーの袋やピッツァの箱をもった人がちらほらと居る。場所取りの係と合流してこれからゆっくり飲み食いするのだろう。何しろ花火は十一時半からなので、これから相当な時間をつぶさなければいけない。何度も書いているが、この時期のヴェネツィアの空が完全に暗くなるのは九時から十時前である。開始時間が遅いのはそのせいだとこのときは考えていた。

おっさん方と合流してタヴェルナで夕食。ここでBigoi in salsaなるものを初めて食す。ビーゴリというのはこの地方に特有の太いパスタで、後日こちらの先生に伺ったときなどは「うどん」と仰っていたほどのものである。暇潰しに訳しているヴェネツィア料理の本にはBigoliと書かれているのだが、現場での表記はBigoiであった。同様にZaletiというヴェネトの菓子も実際に店で見るとZaetiというふうにLが抜けるのだが、こちらの先生によるとヴェネト語というものはそういうものらしい。これだからイタリア語は切りがない。

レシピ本の注釈を見ると、Bigoi in salsaは祭日の前夜など、小斎日に食べるものだ、と書いてあったので頼んでみたのだが、レデントーレはキリスト教のイベントというよりは地元のお祭りなので、ちょっと違ったかもしれない。注文時に店の人が注意してくれてはいたのだが、アンチョビを大量に使ったもので相当に塩辛い。物珍しいというだけのものであって、こちらへ旅行されることがあってもまずおすすめはしない。

食事が終わってからザッテレへ向かう。例の橋は通行が解禁されていて人が動いているので、せっかくだからとこれを渡ってドージェに先駆けレデントーレ教会へ。どちらかというとこのお祭りはここが中心なのだから、ジュデッカも相当な人手である。教会脇では福引きのようなものもやっているし、見慣れた形式の出店まであった。教会前の階段は居並んだ人々で野球場の観客席のようになっていて、この辺は日本人にも馴染みのあるお祭りの雰囲気である。それでもレデントーレ教会へ一歩入ると、その内部は打って変わってひんやりとした静謐な空気に充たされており、歴史のある宗教施設の力というものを感じさせられた。

ザッテレへ戻って花火が始まるのを待つ。しかしいざ始まってみると、予想通りたいしたことはなかった。技術も演出も日本のものには遠く及ばない。イタリア国旗をイメージしていると思しき単純な赤と緑の花火が三割くらいもあったか。とにかく単調で物語性がなく、五分も見ていれば飽きる。これを見ていると、日本の花火はもっと外国人客を呼べるな、と思った。

日本のものは「花火大会」と銘打たれて、花火そのものを観賞するのが目的である。時期を考慮すれば迎え火や送り火のようなものと繋げて考えることもできるのかもしれないが、ともあれ、花火にはどういった歴史や意味合いがあるのかなどと今まで考えたことはなかったし、またここにいては調べる方策もない。それでも改めて思うに、夜空に華々しく広がってまたすぐ消えゆくものをただじっと眺める、というのは世界的にも変わった習慣なのではないだろうか。

ヨーロッパ全体のことは知らないが、このレデントーレの花火はその色彩の妙を楽しむというのではなく、祭日を迎えたことを喜び、祝砲を打ち上げるという意味合いが強いのだと思われる。それであれば花火そのものの演出に興味が向かないのも無理はないだろう。打ち上げ時間が日付の変わるところにかかっているのは、ただ空が暗くなるのが遅いからというわけではないようだ。年末のカウントダウンと同じなのだと考えればよいか。

終わった後には見物客の船が一斉に帰って行く。そちらの方がまた壮観で、暗い水面に船の灯火が連なって流れてゆく様をアカデミア橋の上から眺めていると、さながら蛍の群れのようであった。こちらの方がよほど日本人の嗜好に合うというものであるが、やはりこの地ではそういったものを眺めて余韻に浸ろうなどという人は少ない。何しろ祭りは翌日が本番なのだから、これからまだまだテンションを上げていかなければいけないのだろう。ただの花火見物でもいろいろ違って考えさせられるものである。