伝説について

かつて全世界をおおい尽くした大雨をもって人類に試練をお与えになった主は、またその恩寵のしるしをも与えようとお考えになりました。世界を水の底に沈めた恐ろしい豪雨の記憶を消し去るため、世に二つとない素晴らしいもの、神の恩寵を語り継ぐよすがとなるものを創り出すおつもりになったのです。長くお考えになった末、全能の神は、星々の輝き、月の光の銀色、太陽の光の金色、高い空の青色、嵐の海のあぶくの白色、夕焼けの空の赤色、そして雨を知らせる雲の灰色をお集めになりました。それらをすべて小さな袋にお詰めになってから天使たちを召し出すと、この袋を地上にもたらし、その価値にふさわしい地へその中身を振りまいてくるよう命じられたのです。天使たちはすぐに出発し、全世界の上空を飛んであらゆるところを見て回りました。その中には本当に美しい場所もいくつかありました。しかしそれでも神の授けられた命令に適うような土地は一つもなかったのです。もう引き返そうかと考えたそのとき、天使たちは遠くの方に驚くべき景色を見つけました。かすかな細長い土地が水の上にわずかに浮かび上がっていたのです。そこでは優雅な鳥たちが風と戯れながら低く飛び、またその風は沼地の葦を撫でて優しい調べを奏でています。その地は創造されたときのままの魅力をたたえていたのでした。その狂おしいほどの美しさにうっとりとした天使たちはそこで立ち止まり、ゆったりとした身ぶりでその喜ばしい土地へと袋の中身を振りまきました。するとたちまち、その小さな島々のうえに金の円蓋が立ち上がり、白い大理石の館、そびえ立つ鐘楼、滑らかな石畳の敷きつめられた広場、そして彫像やモザイコ画で飾り立てられた教会が現れたのです。このようにしてヴェネツィアは生まれました。だからこの地は本当に神様の贈り物なのだということです。

……これまで言及することがなかったが、うちの家主は物書きである。最初の頃にマ氏から説明されたところによると、新聞の主幹をやっているとかいう話で、普段は講演やなんやかやで忙しい、ということだった。初めて会ったときにその新聞を一部戴いたのだが、新聞といってもおそらくヴェネツィアの地方紙で、またどうやら季刊のもののようである。知られた人なのかと思って名前を検索してみるといくつか著書もあるようだった。そこでそのリストをプリントアウトして持ち歩き、いくつか本屋を巡ってみたのだが、しかしこれがまたなかなか大変なものだったのである。

ヴェネツィアは土地が狭いので本屋も小さいところが多い。店の棚に並べられる本の数が制限されると売れる本に特化していくのは当然の成り行きであって、したがってここの本屋には地図かガイドブック、イタリア料理の本ばかりが並んでいるのである。だが、ヴェネツィアは海産物で知られる街だからであろう、その棚の中に当然のような顔をして「Sushi」「Sashimi」の本が混じっている。

ついでにいうとこちらのスーパーではマグロやサケの切り身に「Sashimi」と表示されているし、また醤油も売られている。それもキッコーマン。ただしワサビを見かけたことはまだなく、彼らがサビ抜きでどうやってSushiを食べているのかは分からない。さらについでに寿司ネタでいくと、最近こちらのASTORIAという会社が「YU Sushi Sparkling」なるワインを売り出したという話をこちらの先生から伺った。寿司に合わせて極辛口に作ってあるらしく、まだ店頭で実物を見たことはないが、これはボトルのデザインがなかなか綺麗なのでちょっと検索してご覧戴きたい。ちなみに「YU」とはどういう意味かとこちらの先生が問うてみたらしいのだが、向こうから販促しておきながらも担当者が勉強不足だったのか、芳しい答えは得られなかったとのことだった。よく分からないけど何となく格好いいから、という理由で外来語を使うのはどこの国でも一緒らしい。

さて、それはそれとして家主の本の話に戻ろう。大手チェーン以外の本屋にはそれぞれ得意とする言語や分野というものがあって、目当ての本を探すためにはヴェネツィア内をあちこち歩き回らなければならない。で、結局のところはまたこちらの先生の助力を仰いだ。先生が「古本屋」と呼んだ店へ連れていってもらって見つけたのだが、どうもこちらでは、新刊書店→発売からちょっと時間の経った本を扱う店→さらに刊行の古い本を扱う店へ、と本が流れていくようで、ここで「古本」というのは一度読者の手に渡ったものを指すのではなく、日本で言う「新古書」に近い。だからここでいわれる「古本屋」で買っても本は綺麗だし、値段も新刊当時と変わらない。ただしこちらでは本を値引きして売るのが習慣であるので、定価というわけでもない。

そうして手に入れたのは、ヴェネツィアの歴史に関する本である。イタリア語の勉強も兼ねて端から訳しているのだが、この地の人々の間で受け継がれてきたおとぎ話をその歴史の合間へ織り込んでいる、というのがこの本の特徴ということになるのだろうか。「歴史」も「物語・おとぎ話」もイタリア語では同じくstoriaになるというか、そもそもギリシャ語にhistoriaという言葉があってラテン語のhistoriæとなり、イタリア語ではhを発音しないのでistoria、そしてstoriaとなっているわけだから、英語でいうhistoryもstoryも同じ言葉なのだと言われれば納得するほかはないのだけれども、それにしてもこれを文脈だけで訳し分けなければならないというのは骨である。それともあれか、歴史とは結局作り話であるという達観がここには示されているのだろうか。ともあれ、この本の序文にも書いてあったのだが、政治史の研究が定まって幹が通ったところで、枝葉の「民衆の歴史」に目が向けられるという流れはこれまたどこの国でも一緒らしい。

家主の他の本のタイトルを見てみると、ヴェネツィアに関するものとおとぎ話などに関するものが半々くらいで、ヴェネツィアに関するこの本もどちらかというとそういう「伝説」の部分に力が入っているようだ。ちなみに残りの本についてであるが、月末に電気のメーターの確認にやってきたマ氏が、私が家主の本を読んでいるのを見て喜び、残りはオレが買ってきてプレゼントしてやる、と言ってくれた。単純に喜ぶべきなのか、それともプレッシャーをかけられたと考えるべきなのか。

で、冒頭に掲げたのはこの本の最初の部分で紹介されている、ヴェネツィアの起源に関する伝説である。おとぎ話であるから話の構造が単純なのは仕方ないが、色を集めて袋に詰めて、という部分はいかにもこの街らしく華やかで美しい。そこから考えると、どうもヴェネツィアの全盛期に創出された話であるように思われる。

歴史に関する部分はこちらへ来る前に塩野七生氏の本で学んでいたお陰で私の語学力でも充分理解出来るし、ところどころへこういう「おはなし」が差し挟まれるので、かなり分厚い本であるにもかかわらず読んでいて飽きない。さて、帰国するまでにすべて訳出できるであろうか。