薔薇の蕾について

二日後は別の先輩御一家のご案内。前日到着されていたカンナレージョの投宿先まで伺って合流し、まずはリアルトの市場を散歩。それからメインの通りをずっと下ってS. Margherita広場で一休みする。

こちらの御一行にはお子さんが二人いらっしゃる。ともに何とも利発なうえに人なつっこい御兄弟で、まさか子供に手をつながれてヴェネツィアの街を散歩することになろうとは思わなかった。自分には子供どころか結婚の気配すらないが、子供の相手をしているとなんとなく優しい心持ちになってくるのが不思議である。私も歳を取ったものだ。

御兄弟は時差に加え、慣れない土地での緊張もあるのか、すぐに疲れてしまった様子。兄上のほうはさすがに頑張っていたが、弟さんはこれ以上歩くのも難しい様子だったので、昼食のためにリアルトへ戻るのにはヴァポレットを使うことにした。

ヴァカンツァの時期のヴェネツィアはオフシーズンであって、人はそんなに多くない。ヴァポレットの混み具合にも余裕があったが、船縁は御一家に譲り、私は中央付近に立っていた。隣には二十歳前とも見える若い女性の二人組がいる。そう混んでもいないのに妙にくっついてくるなと思ったら、この二人組がスリだったのである。

イタリアの女性はいわゆるムダ毛の処理をあまりしない。彼女たちの腕が視界の隅に入って、これは野性的であると受け止めればいいのだろうが、日本人にとっては見慣れるまでにちょっと時間がかかるわな、などと暢気に考えていたのがいけなかった。そういう下らないことはきっちり観察しているのに、やたらと距離が近いことについて警戒しなかったのは、久しぶりに知った顔に会ったことで安心していたせいでも、またすでにスプリッツが入っていたせいばかりでもないか。

何しろ一度鞄の金具が外れているのに気づいて中身を確認し、閉じ直しているのである。私が金具を閉め忘れるわけがないし、マグネット式とはいえ、そう簡単に開くものでもない。さらには私の前にいたおばちゃんが、この二人組が不自然に距離を詰めてくるのを邪魔に思って文句を言っていた。それでももう一度狙ってきたこの娘たちも大胆なものだが、この時点で気づかなかったのだから、こちらもなめられても仕方ない。

S. Tomàの降り場で二人組が降りていった後、また金具が開いているのに気づいて中身を確認し、財布を掏られたと気づいた。背を向けられていたので顔はよく覚えていないし、携帯を使うのが難しいこの土地で先輩御一家と離れたら再び合流できるのか、などと一瞬であれこれ考えた後、そんな場合ではないと判断してすぐにヴァポレットを降りて追いかけた。

幸運だったのは、この辺りのヴァポレットの乗降場付近は概ね中心の道に辿り着くまで横道がなく、ずっと一本道になっているということである。イタリアのスリは観光地を転々としながら仕事をすると聞いたことがあるので、おそらく彼女たちはそれほどヴェネツィアの道に通じていなかったのではなかろうか。そうでなければもう少し逃げやすい降り場の直前になってから仕掛けてきていたはずである。もしリアルトの直前でやられていたなら完全にお手上げだった。

先ほども書いたように私は相手の顔を覚えていなかったのだが、この顔で猛然と追いかけてこられたのでさすがに恐怖を感じたのか、向こうから私に声をかけ、「シニョーレ、これが落ちてましたよ」などと適当なことを言って返してくれた。少しでも危ないと感じたら即座に諦めてしらばっくれた方が得策なのだろう。

こういう人たちは安全なところへ着くまでは慌てて仕事の成果を確認したりはしないのだと思われる。中身だけ抜き取られていたということもなく、現金もカードも完全に無事であった。結果的に被害なしで勉強になったのはよかったが、現金だけの被害なら何とかなっても、大学の身分証やカード類を失うと相当なダメージを負っていたところである。可愛い娘たちだと思っていたらとんでもない棘を隠し持っていたものだ。まったく油断ならない。

その後徒歩で(ヴェネツィアは主要な道でも狭いので、人通りが多いところは走ろうにも走れない)リアルトへ向かい、先輩御一家とも無事に再会できた。ロスティッチェリアで軽い昼食をとり、御一家は夕食まで宿でお休みになるということだったので、私はまたヴァポレットを使って駅まで、今度は芹男氏と芒男氏を迎えに行く。大忙しである。

だいたい私たちのような人種は常に知識が先行するもので、芹男氏はあれが見たいこれが見たいというものをすでに幾つもお持ちであった。こちらはただ連れていくだけでいいので案内は楽であったが、ご希望のポルテゴだけは未だに分からずじまいである。何しろ、運河があって橋が架かっていて奥にマリア像がある、などというポルテゴはヴェネツィア中に無数にある。もう少し早く言ってくれればいいものを、いくら何でもこれだけの手がかりでは分かるはずもない。幾つか心当たりのポルテゴにお連れしたがすべて外れであった。涼しくなったらもうちょっと歩き回って探してみよう。

暑い中をさんざん歩き回った後、マ氏がヴェネツィアで一番美味いと推薦してくれていたS. Lio教会近くのBoutique del Gelatoでジェラートを買う。するとそこの店員が、あなたたちはジャッポネージ(複数形)か、と聞いてきた。肯定したところ、おそらくVi comportate con eleganza.という表現だったと思うのだが、あなたたちは上品だから分かった、というようなことを言われた。私は近づいただけでスリの小娘が大人しく盗品を返すほどの人相であるし(狙われた時点でなめられてはいるのだが)、他の二人もまた芹男氏のブログにあるように、たいがい厳ついオッサンである。三人ともエレガンツァなどという言葉とはほど遠い人間なのだが、褒められて悪い気はしない。しかし、どこと比べてそう言っているのかと考えると単純に喜んでいい話でもないような気がする。

それともあれか、これもやはり「ゑみや洋服店」で作ったシャツのせいかもしれない。『王様の仕立て屋』というマンガによれば、イタリア人はちょっとした服装の違いに気づいて相手の素性を見抜く、恐るべき人たちだということになっているので。

その後はS. Polo広場から南西へ進んだところの角の文房具屋へ。この店がまた面白かったのだが、その後先輩御一家と合流し、総勢七人となった夕食の様子も含め、ここは芹男氏のブログにお任せしよう。

さて、皆さんがヴェネツィアを発った後でまた家主の本を読んでいたところ、ヴェネツィアにはbòcoloといって、毎年4月25日になると付き合っている女性に蕾のままの赤いバラを贈る習慣があるという話が出てきた。その起源にはモロシーナというヴェネツィア貴族の娘とロドルフォという吟遊詩人との間に繰り広げられた悲しい恋の物語があるのだが、定型通りのお話だし、あまりあちこち訳してこういうところへ載せると家主に怒られそうなので省略。

で、この習慣がどれほど有名なものなのかとネットで検索してみたところ、日本でも特に『ARIA』というマンガで紹介されて知られているようである。そこではボッコロというふうに表記されているようだが、ヴェネト語の発音規則上これは少々気になる。家主の解説によると標準イタリア語ではbocciolo(ボッチョーロ、蕾の意)に相当する言葉であるのだが、ことごとく促音が抜けるというヴェネト語の特徴とアクセントの位置に鑑みて、どう捻ってもbòcoloは「ボーコロ」である。まあ、細かいことは気にしないのがイタリアに関わる者のマナーか。ヴェネト語はヴェネト語として、現代イタリア語に慣れた若者にとっては逆に発音しづらいだろうし、実際のところはボッコロという発音で通っているのかもしれない。

それはともかく、ARIAのファンサイトを見ていると、この街には「不幸の石」なるものがあるとのこと。これは初耳であるが、先日不幸な目に遭ったばかりでこういう情報に触れるのも何かの縁だと思い、場所も紹介されていたので早速見に行ってみた。

思い立ってアパルタメントを出てから十分で着く。リアルトからはすぐそこである。S. Canciano教会のすぐ近くで、サイトで紹介されていたとおり、傍の壁には警告のためと思しきSTOPの落書きがあり、見ていると地元の人らしきおばちゃんが当たり前のようにこれを避けながら通り抜けていた。ヴェネツィアは基本的に右側通行なのであるが、買い物カートを引きずりながらそれまで右の壁に沿って歩いていたそのおばちゃんは、すれ違う人もないのに石の直前で急に左側へ回り込んだのだ。これは明らかに「不幸の石」を意識した動きである。

ここは何度か通った覚えがあり、これまで知らずに踏んでいた可能性が非常に高い。信心がないので別に踏んだって構わないのだが、それより気になったのは、通りの向こうの建物の二階からじっとこちらを見つめているオッサンの存在である。もしかするとこのオッサンは、観光客が知らずに「不幸の石」を踏んで歩くのを見ながら暗い楽しみに浸っているのではないかと想像してみた。「不幸の石」そのものよりこのオッサンの方が余程怖い。

このまま家主の本を読み進めれば、どこかでこの「不幸の石」に関する伝説も出てくるのであろうか。ちょっと楽しみである。