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ならず者への対処法について

948年1月31日、ナレンターニといわれる海賊がヴェネツィアを襲撃した。この1月31日というのはヴェネツィアの守護聖人であるサン・マルコの聖遺物がヴェネツィアにもたらされた日(828年のこと)なので、当然のごとく祭日となっている。そしてこの日、サン・ピエトロ・ディ・カステッロ大聖堂(カステッロのサン・ピエトロ大聖堂、ヴェネツィアの一番アドリア海に近いところにある)では祝賀のために多くの結婚式が執り行われようとしていたそうな。嫁入り道具というものには貴重品が多いので、賊にとっては格好の獲物でもある。ナレンターニたちは奇襲をかけ、数々の宝飾品とともにあろうことか花嫁たちもさらっていったという。

しかしヴェネツィアというのは一瞬たりともひるまない。だいたい彼らは基本的に“海の男”なので気性が荒いのだ。儀式に参列していたドージェ(ヴェネツィア総督)、カンディアーノⅢ世は即座に追撃隊を編成するように命を下し、ヴェネツィアの男たちはあっという間にナレンターニに追いついた。そして短い戦闘の末に海賊たちを打ち破るのだが、しかしながら彼らが捕虜とした海賊は一人もいなかったという。至極単純な話で、その場で全員殺した、ということだ。そして哀れなナレンターニの遺体は人間扱いをしてもらえず、すべて海に投げ捨てられたのだとか。ヴェネツィアの男たちも相当怒っていたのだと思われる。

そもそも海の上でヴェネツィアと喧嘩して勝てるわけがないのだ。

そしてこのとき特に活躍したらしいのが、サンタ・マリア・フォルモーザ教会に信徒会の拠点を持つ箱作りの職人たちで、褒美を与えようといったドージェと彼らの間にここで不可解なやりとりがある。だがイタリア人のジョークというのは前にも書いたとおり、どこで笑っていいのかよく分からないものだし、本筋に関係ないので省略。

何か大きな事件があったら必ずお祭りにするのがこちらの習わしであった。実際には順序が逆という可能性もあるが、後述するようにそこはあまり考えてはいけない。ともあれ、無事に花嫁たちが戻ってきたのを祝って毎年2月2日に行われるようになったその祭りの名を"festa delle Marie"という。正式にどう訳されているのかは知らないが、MarieというのはMariaの複数形で、帰ってきた花嫁たちのことを示しているのだろうから、「マリアたちの祭り」としておく。

最初は例の花嫁たちを模して毎年十二人の「マリア」を選んで結婚式を行い、お祝いということで彼女らには豪華な服やら宝石やら持参金やらが与えられたそうだが、こういうのは当然、選ばれた人と選ばれなかった人との間でトラブルになる。仕方がないので、このマリアたちは木で作られた巨大な人形で代用されるようになった。

ときに、イタリア語には拡大辞というものがあって、語尾に-oneや-ona(女性形)を付けると、元の単語のより大きなものを示すことができる。よってこの十二体の巨大な人形はMaria+onaで"Mariona"それを複数形にして"Marione"マリオーネと呼ばれていた。男性形単数と同じ形になるのが紛らわしいようだが、実際のイタリア語の文章の中では性と数に合わせた冠詞が付くのでそれほどでもない。

拡大辞というものがあればやはり縮小辞というものもあって、これは語尾に-ino(女性形-ina)、-ello(-ella)、-etto(-etta)を付ける。ジュリアという名前に付ければジュリエッタ、という具合である。このお祭りの際には露店でマリオーネの小さな複製を売っていたそうで、するとその人形の名前はMariona+ettaで"Marionetta"マリオネッタ、となる。なんだか聞いたことがある言葉になった。家主の本にはこれ以上コメントがないのだが、「人形」という意味の「マリオネット」という言葉はこれが起源だとでもいいたいのだろうか。確かに一つの単語に拡大辞と縮小辞が共に付いているというのは言われてみれば不思議なことであって、そういう起源があったといわれると納得させられそうになる。

しかし「ああそこのイタリア人今うまいこと言うたな」というときには注意した方がいい。歴史的に正しいとか正しくないとか、そんな段階の話ではない。初めて家主の本について書いた折に示したとおり、「歴史」と「物語」はイタリア語では共に"storia"で最初から区別がないのだ。それらはすべてレトリックを駆使して創り出すべきものであって、彼らの話をうっかり信じると自分が恥をかくことになる。

それはともかく、マリアたちが巨大な木像に置き換えられる前の「マリアたちの祭り」では、十二人の花嫁たちは船で教会に連れてこられるのが常であったという。その船がいつの間にか競争を始めるようになり、一番に着いた者は表彰されるようになっていった。これがヴェネツィアのレガータ(レガッタ、ボートの競技会)の起源なのだとも言われている。

以上の話は14世紀の末頃にラテン語で書かれたとある短詩が根拠になっているということで、公的な史料がきちんと残っているもののなかで一番古いのはまた別の話なのだそうだが、こっちはどうも味気ない話であるし面倒なのでこれも省略。ちなみにこの「マリアたちの祭り」は1380年に廃止され、その後は長らく絶えていた。ここ数十年、観光都市として生きていくために目玉になるようなイベントを歴史の中から掘り起こそう、という動きに伴ってこの祭りも復興されたのだが、しかし時期的にはかの有名なカルネヴァーレ(カーニバル)と被るということで、1999年からはその最初のイベントとして行われるようになっているとのことである。

さて、あきれたことにここまではすべて前置きなのだが、9月の最初の日曜日、ヴェネツィアではRegata Storica(歴史的レガッタ)というイベントがあった。このレガッタには幾つもの部門があるのでそれによって多少折り返す場所が変わるのだが、基本的にはジャルディーニの辺りからスタートし、カナル・グランデへ入っていったん駅前まで行ってから折り返して、カ・フォスカリ前がゴールとなっている。このCa'というのはcasa「家、邸宅」の略であり、そしてこれは前にも説明したような気がするが、フォスカリというのはドージェも輩出したヴェネツィアの名門である。

このフォスカリ家の豪華な邸宅は今はヴェネツィア大学の本部となっている。それはつまり私が客員研究員として軒先を借りている大学の本部であるということで、今回、特等席であるカ・フォスカリへ招待されてレガッタを見物するという幸運に恵まれた。役得である。

普段は学長の船が泊められているカ・フォスカリの運河側に浮桟橋の特設会場が設けられ、ここにはどうも金を払った客か主催者の招待した客しか入れないようになっている様子である。私が向かったのはしかしこちらではなく、大学の関係者はカ・フォスカリの上層階のバルコニーから見物するというふうになっていた。ただこれでは多少距離が遠くなるうえ、足元の辺りにあるゴールは特設会場の屋根が邪魔になって見づらいので、はっきりいって特等席というほどのものではなかった。と最初は思った。

しばらくはバルコニーに張り付いていたのだが、飲み物を用意してあるとの案内があったのでそちらへ行ってみる。すると、vetro di Murano(いわゆるヴェネツィアングラス)のシャンデリアが幾つも下がっているカ・フォスカリの壮麗なホールでは潤沢に用意されたプロセッコや多種多様なチッケッティが振る舞われており、眺めが遠いのはもうどうでもよくなった。そして、ホールに設けられたモニターでレガッタの進行状況をチェックし、ゴールが近くなったときだけバルコニーへ出るというのが正しい楽しみ方なのだということを学ぶ。下の特設会場で観客席に縛り付けられている人々が哀れに思えてくるぐらい貴族的であった。

レガッタそのものも面白かった。普段のヴェネツィアでは見られない、競技用のpupparini、mascarete、caorline、gondolini(すべて複数形で表記)等の各種の舟は形状にも漕ぎ方にもそれぞれ特徴があったし、女性の部門のレースではなぜか多くの人が一様に白のワンピースを着ていたのも訳が分からないなりにぴったりはまっていた。何かモデルになっている説話だか映画だかがあったりするのだろうか。

普段ヴェネツィアで観光客から金をふんだくっているゴンドリエレ、つまりゴンドラの漕ぎ手は男ばかりであるし(女性も居ないことはないという話だが実際には見たことがない)、なかなか女性が舟を漕ぐというのも珍しいことなのだろうな、と思ったら実はそうでもない。

家主の本に拠れば、実は昔から野菜などの荷物を運ぶために女性も舟を漕いでいたのだという。舟を使わなければどこにも行けない土地であったのだから考えてみれば当然のことで、農家の嫁がマニュアルの軽トラを運転できないではやっていけないのと同じことである。女性のレガッタの記録は1481年にまでさかのぼることができるとのこと。

特にこの日、私より少し年上かな、というくらいの普段着っぽい格好の女性が二人で漕ぐ舟があって、レースをしているタイミングではないところであちらへこちらへと行き来していたのが目に付いた。これがまた、ヴェネツィアの肝っ玉母さんの生活の歴史が自ずと二重写しになってくるような、堂に入った漕ぎっぷりであったのだ。この舟が一番印象に残ったと言ってもよいかもしれない。

それはそれとして、見物の前から目当てにしていた舟もあった。レガッタの前のcorteo acqueo(水上行列)で見られる"bissona"(複数形bissone)という祭礼用の大型の船である。だいぶ前に一度書いたが、ヴェネト語で「蛇」を意味する"bissa"ビッサ(標準イタリア語ではbisciaビッシャ)という単語に例の拡大辞が付いた形で、その「大蛇」という名が示すとおりに細長く、舳先に貴賓席があってやたらと装飾が施されている。

ヴェネツィアの男たちにはやんちゃな人が多いわけだから、昔からこういうイベントには揉め事が付き物であったらしいのだけれども、家主によると、このビッソーネが弓を装備してレガッタの最初に行われる水上行列の先頭をゆき、騒ぎを起こす者たちへ容赦なくテラコッタの弾を撃ち込んで回ったという。この弾はラグーナでオオバンなどの水鳥を狩るときに使われたものだそうで、まず間違いなく殺傷能力がある。何にしてもやることが荒っぽい人たちである。