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サービス精神について

ここのところ過ごしやすくなってきたこともあり、ブチントーロの模型を探しながら街を歩き回っている。一度アルセナーレの近くで見つけたのだが、とりあえずいくつか見つけてから比べて買おうと思って見逃したところ、二日後には売れてしまっていた。再入荷を待つ余裕があるからいいものの、ここ以外のものもなかなか見つからない。こちらの人はそういうものにあまり興味がないのだろうか。

Museo Storico Navale海軍(海事)歴史博物館というところがあって、そこへ行けばブチントーロの模型が見られるということなのだが、これが残念ながら改装中なのである。そこからちょっと離れたところで慎ましやかに仮営業をしているのでとりあえず入ってみたところ、目玉商品のはずのその模型は見当たらなかった。ヴィットーリオ・エマヌエーレⅡ世がヴェネツィア入りしたときの御座船は実物が展示してあって、これはそこそこ見応えがあったのだけれど、見るべきものは本当にそれだけというくらいのものである。

模型といえば、リアルトの近く、地元の人しか通らない路地の印刷屋の前で、天気のいい日だと50cm以上もあるかと見える立派な船の模型を道端に出しているところがある。全体的にはブチントーロに似ているのだが、細かい装飾を見ると違うような気もする。あれはいったい何なのだろう。

ともあれ、博物館の方は入場料が€5だったので別に文句を言う気にもならなかったが、それにしても物足りない。何か持って帰らねばと思ったので、机の上に本を並べただけという、日本だったら高校の文化祭でもやらないような、いかにもイタリアらしい適当な売店でヴェネツィアの船の辞典を購入する。家主の本にはあれこれ船の名前が出てくるので何かの助けにもなるだろう。トレッカーニで足りないということもないのだが、図解があるのは嬉しい。

すると店員がカードをくれて、こちらの店もよろしく、とローマ広場近くの本屋の宣伝をされた。するとこの売店はその本屋の出店であったのか。Mare di Carta(直訳すると「紙の海」)という本屋、というか出版社で、もちろん私の買った辞典もそこが出している。ヴェネツィアにあって海事関係の本を編集・出版するというのは一見分かるような話だが、それにしてもなんだか規模が小さいような。ふと海文堂のことを思い出した。

アパルタメントに帰って改めて辞書の中身をじっくり見てみると、こちらの本はだいたいそうなのだが、やはりデザインやレイアウトなどが単調で味気ない。よく言えば質実剛健、悪く言えば独りよがりで気が利かないのである。イタリアの出版業界というものを詳しくは知らないが、この人たちは本というものを写本の時代の延長線上で考えているのだろうか。ヴェネツィアの船のカタログなど、写真やイラストを多用して少し薄めにして価格は€15くらいで、とやれば土産物としていくらでも売れるだろうにと思うのだが、分かる人にしか分からない本を分かる人のためだけに作る、という仕事しかできないようである。すると沢山は売れないので、価格は当然高く設定される。実際、この紙とこの造りで€21か……とちょっと迷った。芹男氏も書いていらしたが、どうしてもこちらの本は割高に思える。

ヴェネツィア料理の本ではそんなことはない。街中の大手チェーンらしき本屋では、ヴェネツィアの海産物や風景を描いた美しいイラストが中心でレシピは二の次、という料理の本があって、これはイタリア語を知らない人にでも土産物として喜ばれそうだと思う。だから「中身にこだわるよりとりあえず売れ筋の本を」というやり方がまるっきりできないわけではない。

一体にイタリア人は商売が下手、というか、そこまでして稼がんでもよい、とでも考えているのか。店の営業時間も観光客の動きではなくて店の主人の生活サイクルの方が優先される。土日の方が観光客は多いのにいい店ほど正直に休む。日本のように重箱の隅を突いて需要を掘り起こし、乾いた雑巾を絞るように商機を探すというやり方に慣れているともどかしい思いをすることも多々あるが、どこまで行っても人間の自然な感覚に従い、手に負えないことはきっぱり諦めるのがここの人々の特徴なので仕方ない。

例を挙げると、スーパーでは商品が売り切れてもすぐには補充されない。またPOSシステムを活用しようという気もないのか、売れ筋のものと大して売れないものが同じ幅で棚を占めていることが多いのも下手くそだな、と思う。具体的にいうと、よく売れている水のペットボトルの棚は昼前には空っぽになっていても、少し高いものの棚はほとんど手付かずだったりするのだ。日本のコンビニだったらそんな商品は一週間も経たずに店から消えてなくなるだろう。大学の近くの雑貨屋では罫線のみのノートがすぐに売り切れて私もなかなか買えなかったのだが、隣の方眼のノートは常に山積みである。

水道の蛇口のフィルターも硬水のミネラル分が固着して詰まるので交換したいのだが、台所の蛇口の径に合うものは売っているのに、洗面所用の少し径の小さいものはどこに行っても見つからない。そんなわけで、欲しいものが欲しいときに欲しい場所にない。

欲しいものといえば、ワインのコルクを抜くためのいわゆるウェイターズナイフというものをここで買って帰ろうと思っているのだが、質の良いものはなかなか売ってない。ヴェネツィアにはCOINというデパートがあって、そこへ行けばあるかと考えたが、これもまたしばらく前から改装中であったのだ。そしてその改装工事中、通りに面したところにはずっと「9月再開」としか書いてなかった。

具体的にいつできあがるのか、きっと誰にも分からないのだろうな、と思って苦笑したが、9月も半ばを過ぎて、やっと「24日オープン」という表示が追加されることになる。イタリア人は一週間くらいの長さでないと目処が立てられないということはよく分かったが、それにしても書いたとおり9月中に間に合わせたのだから偉いものである、と、そういう感覚で見なければならない。いつの間にか、まるで最初から無かったかのように「9月再開」の表示が消されていたりしてもおかしくはなかったし、むしろそういう展開を期待していたのだが。

オープン初日に行ってみたが、まあ、デパートというものはどこでもそんなものだろう、どっかで見たような有名ブランドばかりが目につく。なぜヴェネツィアでフランスやらアメリカのブランドのものを買わねばならんのかは疑問である。ここで買い物をするのはどういう人たちなのだろうか。

いきなりエスカレータが故障して動かなくなっていたのはイタリアだから当たり前のことだとして、要所要所にスーツを着たごつい黒人が立っているのはやはり伝統というものなのだろうか。ヴェネツィアの常としてこの店もけっしてスペースに余裕があるわけではないので、狭い通路に2mくらいの格闘家みたいな人が立っているとその威圧感は並ではない。

一番上まで上がってみるが、食卓用品の売り場もたいしたことなくて、結局ナイフも見つからずじまい。

何をするにも急ぐということがなくなったので、どれも問題となるような話ではないのだけれど、なぜ今回はあれこれと不満を書き連ねたのだろうかと考えてみると、どうも私は再建中だというブチントーロが見たくて仕方ないようである。日本の姫路城が修復工事を逆手にとってそれを見世物にしたようにすればいいものを、そうすれば再建費用の足しにもなるだろうにと思うのだが、そういうことはやらない。思いつかないのか、それとも見世物にできる程にも作業が進んでいないのか。彼らのことだからおそらく両方だろうと思うが、やはりこういうものはいざというときにしか人前に出してはいけないのかも知れない。