滞在許可証について

イタリアでの私の身分証がやっとできた。ここで話題とするのはPermesso di soggiornoペルメッソ・ディ・ソッジョルノ、いわゆる滞在許可証というものである。もちろん大学のほうの身分証は初めの頃に貰っており、研究活動のほうはいたって順調に進んでいる。

イタリアに観光以外の目的でビザを取得して三ヵ月以上滞在する場合、最初に県(と訳していいのだろうか)の役所(prefettura)へ行ってCodice fiscaleコーディチェ・フィスカーレというコードを発行して貰う。これは直訳すると税務番号という意味を持つが、イタリアではこれがないとあらゆる経済活動が出来ない。正式な賃貸契約書も書けないし、家賃の銀行振込のときにも提示を求められる。ネットでスクロヴェーニの予約をするときにも記入させられたような記憶がある。そして例のごとく、これを発行して貰うのにイタリア到着から二週間かかった。しかしこれは大学のほうの都合があったので、お役所仕事のせいばかりではない。

こちらの大学で聞いたところによると、このコーディチェ・フィスカーレは日本に居る間にイタリア大使館でも申請できるという話なのだが、実際のところは確認していないので分からない。どちらにせよ私にとってはすでに終わった話である。

その後また本土のほうの警察署(questura)の移民局へ出頭し、ビザや移民統合事務局の認可証、大学の受入書類などを確認したうえで写真を提出、そして指紋を採られる。スキャナのような機械で一本ずつすべての指紋を採った後、さらに人差し指から小指までをまとめて一回、親指をもう一回、極めつけにいわゆる掌紋まで採り、当然もう片方の手についても同じ手順を踏む、という念の入りようである。

これらの手続きは始まってしまえばそう時間はかからないのだが、それまでの待ち時間がとにかく長い。こちらの大学職員の方が付き添ってくれていたのだが、その人のほうが我慢できない様子であった。私は待つことに慣れているので三時間ほど地蔵のように微動だにしないで待っていたのだが、こっちが落ち着いているのがまたイタリア人の気に触るらしく、余計イライラしているのが面白かった。

さて、これが5月末のことである。その際、この後30日以内にはペルメッソが出来上がったことをSMSで連絡するので取りに来るように、と言われたが、連絡が来たのは9月末のことであった。彼らの言う30日とは30営業日のことかもしれないと最初のうちは考えたが、それすら軽やかにぶっちぎった。人がせっかく好意的に解釈してやろうと骨を折っているのに、もうこの数字にはどのような意味を与えることもできない。さすがイタリアである。

表向きにはちゃんとしているように繕っているが、実際この国では何もかもがザルである。家賃の振り込みの際、銀行の窓口では毎回ペルメッソはないかと聞かれていたのだが、向こうもその実態は重々承知している、というか銀行だって似たようなものなので、無いと言えば済し崩しに切り抜けられた。顔馴染みになってからはパスポートの提示すら必要なくなったが、それが後で問題になるということもない。

彼らはごく稀に思い出したように厳格になり、自分の仕事の存在理由を主張し始めることがある(以前書いた聖アントニオ聖堂の警備員がいい例である)が、これは癇癪みたいなものなのですぐに元通りの適当な仕事に戻る。そういうタイミングに当たったら運が悪いと思って出直せばいいだけである。最初の頃は、言われたことはきちんとやらなければ、書類は不足無く揃えなければ、と日本人たる私は考えたのであるが、もういい加減慣れた。これでは移民の不法就労が横行するのももっともなことである。

それにしても、もう滞在期間も折り返したことだし、これまで滞在許可証が無くて困ったことなど何一つなかったので、別にもう受けとらなくてもいいようなものだが、出来上がったと言われては仕方ない。

しかしここで一つ問題があった。役所への出頭日がベルギー出張の日と重なったのである。のんびり仕事をしたうえに最悪のタイミングに重ねてきたわけで、この間の悪さというのもまた天才的なものだとしか言いようがない。仕方がないのでマ氏に相談したうえで役所へメールを送ったところ、一週間後になってやっと返事があり、違う期日を指定してきた。

ベルギーから帰ってきた翌日となるが、まあいいだろうと思っていると、数日後に電話がかかってきて、また延期だという。咄嗟に理由を聞き返すだけの会話力がないのでとりあえず言うことだけ聞いておいたが、同じようにベルギーへ行っていたもう一人の派遣者である先生の場合、一度は同じように延期を頼んで同じ日に延ばされていたものの、再延長はなかったようである。まったく見当が付かないが、聞いたところでどうせまともな理由ではなかろう。

紆余曲折を繰りかえし、面倒に面倒を重ねてきたわけだが、しかし仕上げのペルメッソの受け取りは一瞬で終わった。何度も期日が変わったせいで完全にイレギュラーな時間に指定されていたようで、同行してくれたマ氏が入口近くの窓口で尋ねると、もう配布は終わった、との返事。日本人同士のつながりでここのタイムテーブルについてはよく分かっているし、こいつらが行き当たりばったりで動いていることはとっくにお見通しなので、こちらもいちいち驚いたりはしない。向こうが先の電話の後で寄越した日程変更についてのメールを見せたところ、中へ入ってその旨を伝えろと言われ、着いてから10分もしないうちに受けとることができた。他の方の報告によると、上手くタイミングを合わせても一時間はかかるとのことだったのだが。

よって、イタリアに留学し、ペルメッソについて思い悩んであれこれ検索した結果このブログにたどり着いた、という方には何の参考にもならないことをここで謝っておく。そういう方は、東京の方の大学からいらしている先生のブログ、

サバイバル☆サバティカルinVenezia

をご参照いただきたい。私は客員研究員なので大学の方がいくらかサポートしてくれたのと、家主が世話好きなのとで相対的にかなり楽をしているようだ。大学のハウジングオフィスとつながっている物件には同じような境遇の人ばかりが入るからであろう、マ氏は二年前にもここの大学にアルゼンチンからやって来たprofessoressa(professore教授、の女性形)の世話をしたと言っていた。

イタリア語には男性名詞と女性名詞の別があるので、このようにこっちに聞くつもりがなくとも話題としている人の性別が分かってしまう。このプロフェッソレッサについては以前にも話を聞いており、初めの頃に問題としていた「先住民」ではないかと踏んでいたのだが、「二年前」ということは間にもう一人居るのだろうか。最初に入ったときの部屋の埃の積もり具合からは、一年間誰も入らずに放置してました、という可能性もなくはないのだけれど。