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ムラーノ島での暴走について

暴走というのは際限がないから暴走というので、例のヴェネツィア料理の食事会でアペリティーヴォを出すためのフルートグラスはvetro di Murano、いわゆるヴェネツィアングラスのものを用意した。そのためにムラーノ島まで行ってきたのだが、これもまた一仕事だったのである。

それにしてもヴェネツィアングラスというのは不思議な言葉だ。「ヴェネツィア」の形容詞はイタリア語ではvenezianoヴェネツィアーノ、英語ではvenetianヴェニーシャンとなるのだが、そのどちらでもないというか、絶妙に混ざっている。日本の外来語がいかに適当であるかがよく分かる言葉で、イタリア人のことだけを馬鹿にすることはできないな、とごくわずかに反省した。ちなみに街中での英語表記はMurano glassである。

本島内にもガラスの店はいくらでもあり、毎日街中で店先のガラスを見比べているから、店の構えと価格帯を見れば本物と偽物の違いはもう何となく区別できるような気もするのだが、やはり本物はそれなりの値段がするものである。分かりやすく公認のシールが張ってあるものもあって、そういうものを取り扱っている店で金を惜しまずに買えばとりあえず安心なのだが、ただの観光客と違って時間があるのをいいことにあちこちの店を見て回った。

ムラーノへ渡ると、ヴァポレットの乗降場のすぐ近くにあったCAM VETRI D'ARTE srlという店が目を引いた。ショーウィンドウからもお高い感じがこれでもかというくらいに伝わってくる店なので一瞬躊躇したが、ちょうど良さそうなフルートが見えたのでとりあえず入ってみることとする。しばらく眺めていると高そうなジャケットを着た店員が声を掛けてきて、何を探しているのか、と尋ねられる。

この店で面白いのは、店の奥のあちこちにそれぞれテーマの違う部屋があり、客が探しているものに応じてそこを一つ一つ案内しながら品物を見せてくれることである。ヴェネツィアという街では古い建物の構造を大きく変えずに使うことを強いられるために大変不思議なレイアウトをとっている店が多いのではあるが、その副産物として、奥へと通されると何も買わずに店を出るというのが非常にやりにくくなるのが困りものである。しかしそれも一つの狙いなのだろう。

長い廊下を歩いて階段を上って次の部屋へ向かう間、どこから来たのかと英語で問われ、そこで当然日本だと答えたわけだが、JapanではなくGiapponeと答えたために、イタリア語が話せるのか、と聞き返された。少しは話せると返したら、そこからは容赦なくイタリア語での説明が始まる。要点を外すことは少なくなったものの、それでも半分くらいしか分からないのだが。

雑談の間、ここへはプリニウスの研究に来ているのだと話したところ、この店員はプリニウスのことを全く知らなかった。こちらからいくつか教えてやったくらいのものである。まあ、澁澤龍彦の名前を知っている日本人も決して多くはないだろうし、そういうものなのだろうが。

品物はもちろんどれも素晴らしく、本島にある小さな店では見られないような一点物もたくさんあって、こちらとしても目が肥えたので大変にありがたいことではあったのだが、お手頃なフルート六脚が値引き後でも€400だという。しかし私はそこで何の躊躇いもなく買い物が出来る程に裕福ではない。ちょっと島を一巡りして考えます、とかなんとか言い訳をしつつ、どうにか店を出てからあちこち歩くが、やはりなかなかこれといったものはない。先の店を出てから橋を渡って右に進んですぐ、博物館方面に行く途中にはピンク色が主体のグラスばかりを飾っている工房系の店があってここの品物も気にはなったが、やはりそれなりのお値段がした。この店の名前は覚えておきたいので、また近いうちにムラーノへ渡ることとなろう。

その後、もう少し目を慣らしておこうと思ってガラス博物館に入ってみた。何というか、職人的な技術というのは突き詰めていくと必ず遊びの領域に入るものなのだな、と感じさせるようなものが多く、大変勉強になる場所である。ヴェネツィア共和国の終焉に近づくにつれてそういう退廃的な作品が多くなるというところが型通りで面白い。そして現代作家の作品が迷走と暴走の狭間にあるのもまた例の如しである。

それにしても、完全に実用性を無視し、ガラスという素材の限界へと果敢に挑戦した細工の数々については清々しいという他に形容詞が見当たらない。ヴェネツィアのその辺のpalazzoにぶら下がっているシャンデリアも大概ふざけたものではあるが、ここに展示されているものはそれも通り越してもう訳が分からないレベルに達している。手仕事の延長にこういうものが出てくるのが芸術の本質ではないのか、とはビエンナーレを見に行ったときにちょっと書いたが、こういう仕事が出来るからイタリア人は油断ならないのだ。ヴェネツィアに観光にいらしたならばここは一回見ておくべきだろう。

博物館を出た後、いかにも地元の直売店ふうに、一点物の芸術系の品と実用系の品が雑多にラインナップされているという微妙な構えの店があったので入ってみる。店主らしきじいちゃんが近づいてきたのでフルートを探していると伝えると、六脚セットのものを見せてくれた。

このグラスには内側に螺旋状の模様が付けてあり、液体を入れるとそれが消えたように見えるという細工があった。じいちゃんが得意気に水を入れて実演してくれたのだが、実はこれについては一軒目の店ですでに見せてもらっていたりする。さらにいうとこれは私のアパルタメントにある安物のグラスにも応用されており、どうもイタリアでは定番の細工のようだ。グラスを打ち鳴らして音を聴かせてくれるのもこれまた定番の営業手法であり、この島のグラスは独特の配合でガラスに金属が混ぜられているのだとかで、普通のガラスとは色や音が明らかに違う。慣れた人ならそれで本物と偽物とが区別できるようになるのかもしれない。

またそのせいでムラーノのグラスは強度が高いのだろう、打ち鳴らすにしても持ち運ぶにしても店の人間のガラスの取り扱い方がかなりぞんざいである。ガラスをよく知っていて慣れているからだと考えることもできるが、偽物だから取り扱いが雑になっているようにも見えるところが素人には難しい。

ともあれ、例の螺旋状の細工に加えてグラスの縁に施されたプラチナの線、そして打ち鳴らした音が一軒目の店で見たものと同じようなグラスを一式見つける。一軒目のものと違ってプラチナの細工がちと大人しいが、カクテルが主体だと考えればこれくらいで十分だとも考えられよう。大きさや細工が多少不揃いなのは、これらが基本的に手作りであるのと、ある程度実用的な中間価格帯の品はやはり中級クラスの職人が手がけるためであるので、これによって本物だとか偽物だとか言うことはできない。いや、偽物の方が割り切ってコスト削減のために機械化しており、むしろそちらの方がきっちり揃っているという可能性だってある。

しかし面白いのは、€590という値札である。一軒目のものより多少品が劣るのにこの値段はないなと思って見ていたところ、じいちゃんはいきなり€290まで値を下げた。怪しいことこの上ないが、こちらの商習慣というものが分からないので何ともいえない。一日歩き回ってあれこれ学習した目には買ってもいい品物だと映ったが、この値付けについてはどう解釈したものかと考えあぐねてその電卓の数字をしばらく眺めていたところ、じいちゃんはさらに、現金なら€250でいい、と言う。税金対策か。レシートもくれなかったし。

ともあれ、リアルトの近くの店だとこれより少し小さなフルートグラスが一式で€190であり、値段としては妥当な線なのでここで手を打つこととした。ちなみに、現金で直接持ち帰りなら値引きするという店は他にもたくさんある。本島の方ではそういう店は見ないし、やはり品揃えが違うので、ガラスを買うなら多少無理をしてでもムラーノへ渡ることをお勧めしたい。本島の店の人は、ムラーノで買うと割高だ、とは言うが、ムラーノのグラスをムラーノ島で買ったという物語が大事なのであって、そこに価値を見出せるなら悪い値段ではなかろう。しかし、これをあらためて日本へ持ち帰るにはどうすればよいのだろうか。