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アックァ・アルタについて

年末年始は特別なこともなく、ただ仕事をしながら過ごしていた。大晦日にサン・マルコ広場のカウントダウンに出かけようかと考えたこともあったが、ナターレの頃に少し体調を崩していたこともあり、大事を取ったのである。カウントダウンのイベントはこの先また見る機会があるかもしれないが、リアルト橋の傍の閑静なアパルタメントの一室に佇み、一人でソアーヴェを飲みながら年越しの瞬間を迎えるということはもう無いだろう。

年が明けてからは、とある先生のお誘いでフェニーチェのコンサートに行って五嶋みどりのヴァイオリンを手の届くような距離で聴いたりなどと、相変わらずのんびりしていたのだが、しかし優雅な生活はそう長くは続かなかった。カルネヴァーレ直前のこの閑散期に、芹男氏がヴェネツィアを再訪されたのである。しかも運がいいのか悪いのか、ちょうどアックァ・アルタに当たったので面倒なことこの上なかった。

某有名海賊マンガでも知られるアックァ・アルタだが、これは満月・新月の辺りの大潮に加え、湾に海水を吹き寄せる南風、高潮を引き起こす低気圧等の諸条件が重なって起きるものだそうな。したがって、毎年決まった時期に必ず起こるというものではない。

だいたい9月くらいから心配をし始めるものだと来たばかりの頃に聞いており、シーズンになってから県のウェブサイトの予報ページを探して見たところ、やはりスマホの予報アプリがあったので使ってみた。このサイトで紹介されているアプリには二種類あって、パドヴァ大学の学生だった人たちが作ったものと、お役所の方で作ったものとがあるのだが、お役所が作ったものはサービス過剰で重たくて使いづらい。こういう傾向は世界共通なのだろうか。元となる予報データは共通であるからもちろん私はシンプルな方を使っているが、しかしこちらのアプリは場所の情報が文字でしか出ない。つまり土地勘のない人間には役に立たない代物なので、旅行者はお役所が作ったものを使うとよい。そちらでは地図の上に危険箇所が色分けして表示される。

ただ、この予報はせいぜい三日分しか出ないし、しかもその予報も5cm~10cmくらいの範囲でころころ変わる。これがどうにも中途半端である。海面すれすれのこの街にとってはその5cmが大切なのだが、やはり条件が複雑すぎてどうにもならんのだろう。

とうとう来るぞ、というときになると三時間ほど前に空襲警報のようなサイレンが街に響き、それに続いてどこからかアラーム音が聞こえてくる。二日目の夜に芹男氏と食事をしていた店で、うちのアパルタメントで聞こえるのと同じアラーム音を聞いた。すると防災無線のようなものがあるのだと思われる。

聞くところによるとこの冬はどうも外れらしく、大きなものは昨年10月、ちょうどベルギーから帰ってきた辺りに一回起こったきりであった。あの頃に前振りをしておきながらもこれまで話題とすることがなかったのはそういう訳である。して、先ほど挙げた諸条件を見て戴ければお分かりかと思うが、アックァ・アルタには雨が付き物となる。道の狭いこの街を傘を差しながら移動するのはただでさえ億劫であり、加えて足下にまで気を遣わなければならないというのはあまりにも鬱陶しい。ピークの数時間さえ外せばたいしたことにはならないので、時間に縛られない生活をしているのをいいことにこれまでは上手に避けていたのであるが、しかし滞在期間の限られる芹男氏をあちこち案内しなければならないとなると、これはちょっと追い詰められたかもしれない。

駅の近くにあるホテルまで芹男氏を迎えに行かなければならなかった朝のこと。7時くらいに例のサイレンとアラームが鳴り、家を出るかという時間になってから窓の外を見てみると、隣のPalazzo Dieci Saviの通路が水を湛えていた。文字通りに最高潮の時間だったのだが、実のところ、ヴェネツィアに住んでいるのに私はまだ長靴を買っていなかったりする。部屋には先住民が置いていった長靴があるのだが、しかし他人の履いた靴というのは余程のことがない限り履きたくない。

ヴェネツィアーニならば当然長靴を持っており、予報とアラームで事前にアックァ・アルタが起こるのを知って長靴で出勤する。長靴といえば、最初のアックァ・アルタの日、シルバーのスーツにえらくスタイリッシュな茶色の長靴を履いた、まるで植民地の探検に出かけたイギリス人のような紳士を見かけたが、これはきっとお金持ちの旅行客であろう。完全に街から浮いていた。

こういう日にはゴム底とビニールで出来た派手な色の簡易長靴があちこちの店頭に出るので、一般の観光客の場合はそれを買い、靴の外から装着して歩くことになる。同じものであっても値段は場所によって€5~10程度と開きがあるが、必要になったらその場で買うほかないので、いちいち値段を気にしている余裕はないだろう。

私はヴェネツィアーノではないので出来ることなら今さら長靴は買いたくないし、観光客でもないので不細工な簡易長靴を履きたくもない。ヴェネツィアの地理に詳しいのと時間に余裕があるというマージナルな特性を武器に、残り二ヶ月間、最後まで避けて通るつもりである。

ともあれ、予報通りの潮位であれば何とかなるはずだが、と思いながら部屋を出ると、アパルタメントの前の広場までは水が来ていない。ちなみにそこから数歩進んだcampo S. Giácomo di Rialto、いわゆるリアルト広場は池と化していた。こうやってほんの数センチの高低差で変わってしまうものであり、アプリを見たり何度か現場に遭遇したりするうちに各所の危険度もある程度把握できているので、行けるだろうと思っていつもの靴のまま家を出て駅へ向かう。私がいつも通る近道はやはりあちこちで水に浸かっていたので、結局一番メインとなっている道を選び、ローマ広場から回り込んで駅前まで到着。

最初の目的地であるフラーリ聖堂の辺りに問題が無いのはこの道すがらに確認しており、そこを見ているうちにピークも過ぎるだろうと思っていたのだが、次の目的地であるアッカデミアへ行こうとしたところ、バルナバ広場の南でまた道を阻まれた。今回のアックァ・アルタはなかなか強敵である。

芹男氏は突っ切っていきたい様子であったが、ヴェネツィアを観光するのにがっついてはいけない。この日は遠回りした御陰で午後二時までの開館時間を逃し、後日に回すこととなったが、わずか四日間程の滞在期間、それもアックァ・アルタの起こる期間にあれもこれもと詰め込み、いい飲食店が片っ端からferie(長期休暇)を取っているという悪条件の中で最終的にほぼ辻褄を合わせたのは優秀なガイドがあってこそである。例えば今回、サン・マルコ広場にはほぼ毎日のように行ったのだが、その場で最も効率的な道を選びつつも毎回違った道を通って行き、また違った道を通って帰るという離れ業までこなしたのだ。少しくらいこちらのこだわりを通してもよかろう。

一般の観光客なら必ず道に迷って時間を失い、この街のことを知らずに立てた計画ならば三分の一も達成できないに違いない。しかしヴェネツィアで道に迷うというのは必然でありながらも大事な経験の一つだったりする。

さて、アッカデミアを措いて向かったのはPalazzo Ducale、ドージェ宮である。人混みと行列が嫌いな私はこれまで中に入ることがなかったのだが、何しろ今は閑散期なので貸し切りのような状態であった。広大な部屋の数々と膨大な絵画に圧倒され、改めてヴェネツィア共和国の度外れた国力を思い知り、それでありながらも引き締まった造作にこの国を千年続かせた堅い節制を見て取る。とにかくどの部屋にいても名状し難い重圧を感じた。国としては200年以上も前に潰され、ドージェや十人委員会の人々の姿もすでに無くなって久しいというのに、この建物は明らかにまだ生きている。

Ponte dei Sospiriため息橋の内部を通って監獄へ向かう。パラッツォ・ドゥカーレの方だけでも十分怖いのだが、こちらもまた当然のように怖い。見物客が耐え切れなくなるのを見越したのか、所々で見学コースをショートカットして戻れるようになっているほどである。窓の極端に少ない堅牢な石造りの監獄の中にはアックァ・アルタと雨のせいでじめじめとした寒さが這いまつわっており、こんなところに入れられたら数ヶ月も持たないのではないかと感じるような厭わしい空気だったのだが、しかし芹男氏と私は嬉々として端から端までじっくりと見て回り、どん底の部屋にあった囚人達の落書きの解説を見てはケタケタ笑っていたのだった。この後、最終日に向けて芹男氏はどんどん体調を崩していったのだけれども、それはここの空気が体に障った所為ではないかと思う。それともこの場所で何かに取り憑かれたのだろうか。