読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

サン・マルコ聖堂について

ヴェネツィアーニは総じて地味で、イタリア南部の人たちと比べると人見知りも強く、とにかく控え目で始末屋、というのがこれまでのイメージであった。パラッツォ・ドゥカーレへ入ったときもその印象は変わることがなく、この自制心こそがヴェネツィア共和国の繁栄の礎であったのだな、と思っていたのだが、これはとんでもない勘違いだったようだ。

サン・マルコ聖堂へ入るのは滞在9ヶ月目にして初めてのことである。これまで前を通り過ぎるだけであったのだが、ちょっとした切っ掛けがあったのでようやく中へ入ってみた。入るのはとりあえずタダだが、例の秘蹟の祭壇の近くへ行くには€2、聖具室の見学には€3のお布施が必要である。しかしここまで来て多少の金をケチっては逆に勿体ない。これこそが見所である。

聖堂の外側にもあるのだが、中へ入ってまず目を引くのは天井のモザイコ画であった。そして暗い灯りに目が慣れると、それ以外の部分がほぼ金で装飾されているのに気付いて気圧される。いや、辟易とする。どうもこれまでのヴェネツィアとは雰囲気が違うようである。保護のためだろう、カーペットなどで遮られて実際には見えないのが残念であるが、帰ってから家主の本に付されている写真を見ると床の紋様もまた手の込んだものであった。

一応は宗教施設であるから、こういう場所はいくら装飾を施そうとも概ね俗悪になる一歩手前で踏みとどまるものだと思っていた。が、この聖堂は迷うことなく突き抜けているではないか。調べてみると三代目のこの聖堂は完成した後にも何度か改修を施され、その度に装飾が付け加えられていったということであった。ヴェネツィア共和国が手に入れた富を脈絡無く吸収していったことでこうなったということか。

聖マルコの柩が出てきたという例のパネルを探して€2を支払い、祭壇の裏側へ回っていくと、Pala d'Oroという祭壇画を見ることができる。是非これは画像検索して見て戴きたいが、これを見て宗教的な有難味などを感じている暇など無い。目に入るのはただ全面の金の輝きと夥しく鏤められた巨大な宝石の数々、感じられるのはヴェネツィア共和国の想像を絶する富力のみである。同行者は、これだけ宝石がある(二千個に近いそうな)のだから一つくらいくれたっていいのに、などと暢気なことを言っていたが、これだけのものを見てまだ欲が出るというのが私には理解できない。これが若さか。ともあれ、パネル探しを忘れて束の間呆然としてしまった。

ちなみにそれらしきパネルはすぐ傍に見つかったが、例の話を知らなければどうということはないものである。周りの観光客も誰一人そのパネルを気にする人はなかった。モノというのはモノガタリが伴わなければ生きることができない。

次に聖具室へと巡る。ここにもまた溜め息しか出ないような銀の燭台や十字架、杯などが展示されているのだが、何とも不思議なことにこれらの品々には邪気がない。彼らにとって富とは一体何だったのだろうかとここで暫し考えることとなった。これらが一人の人間に帰するものではないというのと、美意識や様式というものを一顧だにせず、偏執狂的に詰め込まれた過剰な装飾のためだろう、権力意識や自己顕示欲のようなものが微塵も感じられず、金や銀、高価な細工を玩具のようにして遊んでいるとしか見えないのである。玩具にできるほどまでに貴金属や宝石が溢れかえっていたというのは恐るべきことだが、しかしながら決してそこに溺れているというふうではない。ということは、これはこれでヴェネツィアらしい自制心の表れということになるのか。

ここに一つの聖母子像がある。光背に例の如く幾つもの巨大な宝石を配してあり、真珠とカメオ、そしてまず間違いなくムラーノのガラスのビーズで作った首飾りの合間に幼いキリストが在しているのだが、素朴な表情の母子の図柄が完全に装飾に負けていた。聖母子の魂は金と宝石の輝きによって残りなくかき消されており、宗教的テーマを無機質なモノのレヴェルにまで還元したという点で希有な聖母子像であろう。ヴェネツィアらしくてよい。

とにかく、せいぜいムラーノのガラスでできたシャンデリア程度の贅沢品しか見られない他の建物とはまったく趣が違っている。自分たちで派手な装飾品を身に纏い、屋敷をコテコテに飾り立てるなどというのは気恥ずかしくてできないので、そこで余った財力がこの聖堂に集中しているのだろうか。つまりこの聖堂はヴェネツィアーニの内に秘めた願望を具現するための着せ替え人形みたいなものか、と思い至ったら何だか親しみが湧いてくるようでもあった。

さて、祭壇の正面にあり、聖マルコの遺骸だとラテン語で書いてある石棺にも一応挨拶を済ませ、先日までメンテナンス工事中で閉まっていたカッフェ・フローリアンでお茶をしたところで、ようやくサン・マルコ広場周辺の空気にも馴染んできた。

この日は特設会場の建設が着々と進められている最中であったが、ここは当然、カルネヴァーレの期間中に行われるあらゆるイベントの中心地となる。慣れてきたことだし、私も期間中は足繁くここに通うことになるのかといったらそうではない。実は、カルネヴァーレの間はサン・マルコ広場へは近づくなと言われている。勿論テロの危険性を鑑みてのことである。例のテロの後、次はヴェネツィアだ、という話が一瞬出たことがあったので、皆結構気にしているのだ。

カルネヴァーレのウェブサイトを見ると、以前レガータの起源として紹介したLa Festa delle Marieが初日に行われるとあった。祭りや人混みは基本的に嫌うものの、これだけは観ておこうかと思っていたのだが、イタリア人に行くなと言われては仕方ない。幼い子を持つ母親の意見なので、心配も度が過ぎると一笑に付すこともできるが、しかしこれはイタリアの中でも特に危険に対する嗅覚が鋭いと思われる地方の出身者が言うことでもある。

ヴェネツィアは特殊な空間なので、この島の中に留まる限り、治安に関する意識は特に日本と変えないで済む。しかしここは紛れもなくヨーロッパである。今のところ何も起こってはいないし、何も起こらないまま終わればそれはそれで喜ぶべきことではあるが、どちらにせよ無理を押してまで人混みの中へ出るほどのことではない。

ウェブサイトの過去の写真と説明を見て分かったのだが、La Festa delle Marieは私が期待したものとは違っていた。私は巨大な木造の人形Marioneが観たかったのであるが、現代の「マリアたちの祭り」は単なるミスコンになっているようである。イタリア人は美しい女性が大好きであるから、問題が無ければ生身の女性に出てきてもらいたいという気持ちは分かる。また、今のカルネヴァーレは私が生まれた頃になってから復興された祭りであるから、現代的なアレンジが施されているのも致し方ないのではあるが、それでも釈然としないところは残る。

街を歩いている観光客の仮装にも私としては違和感を感じる。カルネヴァーレの仮装といえば、シンプルかつ薄気味の悪い種々の仮面に黒い外衣を纏うものだと思っていたし、こちらのマスケラの工房の店先などにはそういうマネキンも出ているのだが、どういうわけか観光客たちはことごとく華美で奇抜な衣装を身に付け、自分の存在を誇示しながら歩いているのである。

仮装というものは自らを怪物と化すことで人間としてのアイデンティティを消すところに意味があるのだと思っていた。私はヴェネツィアの街に冷たい霧と黒衣の怪物が忍び寄り這い回り、次第に冥い異界へと変貌していくところが観たかったのであって、チンドン屋が明るく盛大に練り歩く街が観たかったわけではない。

どうやら本来のカルネヴァーレは私が恋したヴェネツィア共和国と共に、すでに歴史の闇の中に消え去っていたようだ。まあ今回の場合、御陰で期間中に外に出る気が失せたというのはありがたいことかも知れないが。