肉と魚について

気をつけるようにとは言われながらも、寝起きするパラッツォを一歩外に出ればそこはリアルト橋なわけで、カルネヴァーレの期間中も結局はちょくちょく街中を見て回っていた。夏場のレデントーレ前後の喧噪と比べてみるとどうも人が少ないような気がしたので例のイタリア人に伺ってみたところ、やはり昨年と比べると人出は格段に少ないそうな。テロの影響以外に思い当たることはないようだった。御陰で人混みの嫌いな私もそこそこ快適に見物することができたのではあるが、観光産業で生きている街としてはちょっと難しい話である。

カルネヴァーレの最後の二日間は「懺悔の月曜日」「懺悔の火曜日(マルディ・グラ)」、そして終わった翌日、つまり今日は「灰の水曜日」といい、この日から四旬節が始まる。キリストの荒野での受難を思い、この期間は断食をするというのが元々の話で、しかしいくら何でもそれはつらすぎるので、まずは肉食(卵・乳製品・油も)を断つ、というふうに変化したようだ。カルネヴァーレの''carne''というのは「肉」という意味であるが、「謝肉祭」とは「四旬節の間は肉が食べられないからそれまでにたくさん喰っとけ」という趣旨のものだと理解していいのだろうか。文字通り「肉祭り」である。

18世紀、ヴェネツィア共和国が最後の輝きを放っていた頃のカルネヴァーレの話である。期間中の最後の木曜日、ドージェ以下のお偉方が出そろう前へ雄牛が引き出されてきて、肉屋のオヤジがその牛の首を一撃で刎ねる、というイベントがあったそうな。その牛はリボンや花で飾られており、これは1164年にアクィレイアの総大司教ウルリコ(ウルリヒ)から贈られてきた貢ぎ物を模していたのだという。そこにどういう皮肉が込められているのかはちょっと解説が難しい。ともあれ、いかにも肉祭りというふうな催しである。

またそのとき、サン・マルコの鐘楼からパラッツォ・ドゥカーレの開廊、あるいは船着き場の筏の上へと延びた綱の上を曲芸師が渡っていき、ドージェや群衆の上へ花を投げていくという見世物があった。これを題して''Svolo dell'Angero''(天使の飛翔)という。現代のカルネヴァーレにおいては以前説明した''Festa delle Marie''(マリアたちの祭り)と組み合わされて再現されているようで、私は観ていないのだが、カルネヴァーレの初日、プレイベントの間に選ばれたマリアがワイヤーアクションでサン・マルコ広場の上空を飛び交ったのだという。なんか違うような気がするが。

このワイヤーは最終日にもまた利用される。夕方になると、まず特設会場に十一人のMarie(全部で十二人いるのだが、最後の一人は後から出てくる)、ドージェに扮した市長やドガレッサ(ドージェ婦人)、その他種々の扮装をした人々が現れる。そしてMarieの中から選ばれたMaria(単数形、要はミス・カルネヴァーレ)が発表された後、 ‘‘Svolo del Leon’’というのがあって、これでカルネヴァーレは一応終わりということになる。何度も書いているのでお分かりだとは思うが、Il Leon(標準イタリア語ではLeone)とは聖マルコの象徴である有翼の獅子のことである。

夕方五時の鐘が街に響く中、特設会場のステージの上に横並びになったドージェや十二人のマリアたちが、折りたたまれた長大な深紅の布地を掲げた。当然ながらそれは有翼の獅子が描かれたヴェネツィア共和国国旗であり、これが件のワイヤーで吊り上げられてサン・マルコ広場上空へと向かって展開、盛大な楽曲と共に鐘楼までの間をゆっくりと進んでいく。あいにくというか、いつも通りの曇天を背景に鮮やかな緋色が映え、まずまずの見世物であった。

家主の教える18世紀のカルネヴァーレにおいては、最終日の日没と同時に広場では花火(打揚花火ではないものと思われる)に火が付けられ、またラグーナは篝火で満たされたのだそうな。そういうものを期待して広場へ行ったのだが、さすがに昔のようにはいかないようだ。

ラグーナの篝火というのは水面に浮かべた松脂の樽に火を付けたもので、日の落ちたサン・マルコ運河一面に火が灯されたとなればさぞかし壮観であったろう。ただ、Gaspare Gozziという人が書き残した‘‘Gazzetta Veneta’’の一節によると「その火は得も言われぬほど美しく、称揚すべきものであったのだが、多くのマスケラがそれを褒め称えることはなかった」とのこと。修辞のみで文章を書くイタリア人には珍しいことだが、これは、火に見惚れていたとしてもその陶酔した表情はマスケラによって覆い隠されており、その本心を窺い知ることは決してできない、とかいう気の利いた表現ではない。

これがはっきりと不評であったのは、篝火のせいで張り込んで作った衣装が煤けてしまうからである。大量の松脂が燃やされるのだから、その臭いと煤は相当なものだったはずだ。大気汚染が問題となっている現代のヴェネツィアでは到底再現できまいが、それ以前にヴァポレットの運航に与える影響や安全上の問題があるだろう。

では当時はどうしてわざわざそんなものを使っていたのかというと、ヴェネツィアにとって松脂というのは、常に一定程度の量が手元にある、お手頃なものだったからである。船の建造に使うというのが第一の用途であったのだが、戦時になるとこれは武器にもなった。ラグーナに不慣れな敵の船をおびき寄せて浅瀬で座礁させ、動きの止まったところへ火を付けた松脂を投げ込む、というのはヴェネツィア防衛の基本戦術である。

と、ここまで考えて、この篝火の話はすでにどこかで読んだことがあるもののような気がしてきた。やはり塩野さんの本だろうか。

さて、カルネヴァーレが終われば節制の日々が始まるのだけれども、しかし家主によると、ヴェネツィアーニは「四旬節の間であれ、食べる楽しみを押さえ込むことなどできなかった」とのこと。イタリア人に「美味いものを喰うな」というのは死刑宣告と同義であるからこれは当然のことだろう。よって結局のところは灰の水曜日と聖金曜日の二日だけ質素なもので済ませる(妥協しすぎではないのか)というところへ落ち着いた。ヴェネツィアではこれらの小斉日に、これまで何度か話題にしてきたbigoli in salsaを食べる習わしがある。

薄切りにしたタマネギを炒めてから塩漬けの鰯を加えて身をほぐし、そこへ茹でたビーゴリを和えて胡椒を振る、というだけのシンプルな料理で、手元にある詳しい方のレシピ本を見ても、炒ったパン粉を振りかけるとか、パルミジャーノの粉末を加えるとかいう程度のヴァリエーションしかない。何しろ簡単な料理なので私自身もこれまでに何度か作っているが、いわゆる精進料理であるにもかかわらず、外で食べると「ヴェネツィア料理」というだけの理由で結構なお値段がする。よって今晩はもちろん自炊である。それはそうと、ヨーロッパでは魚は節制の対象とはならないのだろうか。

一番最初にこの料理を食べた店ではあまりの塩辛さに悶絶した、と書いたことがあったと思うが、大量の鰯ペーストで灰色になっていたあのbigoli in salsaは、もしかすると「灰の水曜日」と引っかけてあるのだろうか。そう思いついたところで、わざわざあの店へ確かめに行く気にはなれないが。