魚料理について

18世紀、共和国が滅び行く頃にもヴェネツィアには多くの漁師がいた。マランゴーニという人のリポートによると、1784年には、「聖アンドレアのスクオーラ[組合]は、i venditori di pesce, i vallesani e i batellieriを含めて3390人を擁していた」という。最初のはそのまま魚売りで、次のヴァッレザーニというのはvalligianiで語義は「谷間の住人」であるが、あれこれ調べた結果、どうも養殖業者のことのようである。

ヴェネツィアにはmoecaという名物があり、脱皮した直後の小さめのカニを丸ごとフライにして食す。リアルト市場でも運が良ければ出ているが、ヴェネツィア料理の会をやったときにはタイミングが合わなくて出せなかったのは今思い返しても残念である。値段は確かキロ当たり60ユーロ弱くらいだったか。かなりの高級食材であるが、この養殖業者も今ではかなり少なくなっているそうな。ちなみにこのmoeche fritteはヴェネツィア市中で伝統料理を出す店へ行けばおおむねいつでも食べられる。店名にanticaやanticheなどとある店を選ぶのがわかりやすいだろう。

で、最後のバテッリエリは船頭という語とほぼ同じだが、販売人、養殖業者ときて最後に漁師、というこの並びは分かるようで分からない。battello、つまり小型の舟を使った漁師はpescatoriとは別扱いであるようにも読める。ともあれ、これに加えて「1796年の二つの宣誓書によると、ペッレストリーナを含むキオッジャの漁師は約10,000人、ブラーノの漁師は4,000人を数えた」ということである。

彼らが使う船にはla bragagna, la granzera, i pieleghiその他tartane, tartanelle, bragozziというものがあった。ブラガーニャは底が平らで、全長9-11メートルほどの舟、これはラグーナの女王と言われていたという。手元の船舶事典の復元イラストを見ると、三本の帆を立てることができ、網を巻き上げるための器具も備え付けられた、そこそこ大きい船である。グランゼーラについては(軽くて帆があるカニ獲り用の舟)と注があるのだが、こちらで調べてみると「曳き網漁のための網」とあった。この本の筆者の読み違えだろうか。そしてピエレーギを調べていると「ラティンセイル」という言葉が出てきて、調べ物がどんどん船の構造の方へ脱線していく。やはり船舶免許を取りに行くべきか。今のところそんな余裕はないが。

ヴェネツィアの古い料理書にはどういう訳かあまり魚料理の記載がないそうだが、歴史家という生き物はその程度で挫けたりはしない。穀物租税法と公定価格に関する記録を使って、中世(1173年、ドージェ・ツィアニの時代)以降、ヴェネツィアの食卓に最も多く上った魚を調べ上げている。trote, storioni, rombi, orate, barboni, passere, sogliole, anguille, lucci, tincheとあり、順番に、マス、チョウザメ、ヒラメ、タイ、ニゴイ、ツノガレイ、シタビラメ、ウナギ、カマス、テンチとなる。今とそう変わらないようでもあるが、淡水魚は今ではあまり見ないような気もする。

マランゴーニによると、「もっとも珍重された魚はle orade de varie, dette della corona[ヨーロッパヘダイ] e le orade vecchie, i branzini[スズキ], il pesce matto scortegado (zigrinato)」だそうな。ヨーロッパヘダイは調べがついたがle orade vecchieが分からず、スズキは常識レベルだとして、ペーシェ・マット・スコルテガード[乱暴に皮をはがされた、の意、斑点のある魚か]というのがさっぱり分からない。スズキは今でもやたらと人気で滞在中もよく食べたものだが、ヴェネツィアのものより先日いたぎ屋で出してもらったものの方が美味しかった。淡泊な魚は場所によって匂いがつくということらしいが。

そしてその他小さいもの、一山いくらで売られた雑魚としてはmenuagia mora, paganelli, schile, anguele, marsioni、これらは順に、クロハゼ、よく分からないがハゼの一種、ヨーロッパエビジャコ、トウゴロウイワシ、ハイイロハゼとなる。やたらとハゼの類いが目立つが、これはヴェネト語でil go、標準イタリア語でghiozzoといい、よく市場で見かけたものである。ブラーノではこれを弱火でひたすら煮込んで溶かし、ブロードを作っておいてリゾットに使うのだそうな。そのレシピは滞在中に訳してあったが、あまりに手間がかかるので実際に作ったことはない。トウゴロウイワシについてはワカサギのようにフライで食べるようである。

種類はそんなものとして、次にこの時代のヴェネツィアでどれほどの量の魚が消費されていたのかを見積もるため、彼らはまたあれこれ史料をこねくり回している。が、ここがまたよく理解できない。1リッブラ[重量の単位]というのがおおむね0.476999kgに相当するそうで、ここでマランゴーニは、
「ヴェネツィアの十万の人が一週間に一人頭2リッブラ[つまり約1kg]の魚を食べたものとして、一年分の量は10-8,000,000リッブラ以上という計算になる」
と書いているのだが、つまり
 100,000(人)×2(libbre)×52(週)=10,400,000
ということである。人口に関する前提が省略されているのだろうが、下限が8,000,000となっている理由が分からない。ともあれ、週に2リッブラと仮定すれば年間消費量は一人当たり50.56kgとなるので相当なものであるが、肝心の「週に2リッブラ」の根拠も省略されている。

また「毎年国の養殖場から本国へ5,000コルバのウナギが卸される」という数字も残っているそうで、「1コルバは200リッブラ」、つまり約95.380kgになる(手元の計算と微妙にずれるのが気持ち悪い)そうだから、5,000コルバは約477トンになる。人口で割れば一人当たり年間5kg弱ということになるが、あまりに多すぎやしないか。

リストランテでは今のところウナギのグリル以外は食べた経験がないが、レシピについてはこれまでいくつか訳している。トマトで煮込んだり、中にはchiocciole di terra、つまりカタツムリと一緒にした料理もあった。まったく味が想像できないが、ロンドンでは労働者階級の栄養源だったという話をどっかで読んだこともあるし(いかにも不味そうな料理だと思ったことは覚えている)、レシピの数からみても馴染み深い食材であったのは間違いないようである。

以上のように、非常に多くの魚がヴェネツィアで消費されていたということになるのだが、ここまで説明しておきながら、ゴルドーニの作中の食卓では魚は滅多に出てこないという。「シンプルで大衆的にすぎ、揚物、煮物、焼物の他にはその料理集に入れるに値しない」と考えられたためだとされているが、とにかくそのレシピは非常に少なく、il brodeto[ブロードで煮たもの]、lo sguazzeto[シチュー]、il saòr[南蛮漬け]、la buzaraくらいしかない。最後のブザーラというのは例のとおりに炒めた食材にトマトと白ワイン、トウガラシ等で味付けしたもので、この調理法についてはまた面倒な起源論があるのだが今回は省略。

現代のヴェネツィアで大人気の魚料理は、往事は下層民向けのものであったということだ。とはいってもヴェネツィアの下層民というのは、例えば『どん底の人びと』の下層民などというものとはまったくイメージが違う。それはともかく、当時手に入りやすかったものには重きが置かれないというのは当然のことで、現代のように失いかけて初めてその有り難さに気付くというのもまたお約束である。

さて、では貴族階級は何を食べていたかというと、もちろん肉ということになるが、これについてはまた次回。現代のヴェネツィア料理だと肉料理はフェーガトかカルパッチョくらいのものしか知らなかったが、調べてみたら結構な広がりがあった。見たことのないレシピがたくさんあるので、つぎはちょっと時間がかかりそうである。