ドルチェについて

毎年5月31日が近づくとタバコの害を主張する報道が増え、煙の味が些か苦くなる。タバコの場合は被害をはっきりと定量化できるから攻撃しやすいのだろうが、しかしそもそも誰にも一分の迷惑もかけずに生きていくことなどできるのであろうか。他人様の寿命を一秒たりとも縮めてはいけないと突き詰めていったら、身体的にも精神的にも他人に関わることができなくなってしまわないか。人間が生きていること自体が悪だというなら分からんでもないが。

子供の頃はタバコの煙が大嫌いで、今でもこれが好きになったというわけではない。そして健康被害の科学的根拠に関して面倒な議論をしている人があるにしても、タバコの煙を不快に思う人がいるのは厳然たる事実である。が、いつの頃からか世間が一斉にタバコを攻撃するようになったのを見て多少違和感が生じ、自分としては喫煙者の側に立とうという気になった。文学部らしいというか、若気の至りというか。まあ、私のことなどどうでもよい。

ヴェネツィアはかなり喫煙者に甘い。建物の中はまず間違いなく禁煙だが、大きめのカンポには概ね灰皿付きのゴミ箱が設置されており、常に誰かが一服している。紙巻きは税金が高いのでお金のない学生などは刻んだ葉だけを買い、自分で巻いて吸う人が多いというふうに聞いたのだが、しばしばその中には違う種類の葉っぱが混じるという。また観光客の歩きタバコも日常のことであって、その吸い殻は皆が躊躇うことなく道端へ捨てていた。こう書くと完全に無法地帯である。

目の前に運河があればそこへ捨てる人もありそうなもので、淀みにタバコのフィルターが吹き寄せられている様子は想像するに容易いが、実のところそういった光景は記憶にない。そして石畳の方の美観はどうなるのかというと、毎日掃除夫が箒で街中を掃き清めてくれるお陰で保たれている。

リアルト付近は主要観光スポットなので清掃は最優先に行われる。この掃除は毎朝のゴミの回収とセットであるため、私が下宿していた辺りはやたらと回収時間が早く、寝坊してタイミングを逃すこともままあった。当然パッカー車などは使えないので回収は基本的に人力である。数多ある橋の階段を越えられるように設計された特殊な手押し車を使い、Attenzione!と連呼しながら観光客の群れを切り開いて進む彼らに、ヴェネツィア市民の日々の生活を見出したものだった。

すでに見たように、ヴェネツィアの伝統を今に伝えるにあたっては様々な「アルテ(職業組合、ギルド)」が重要な役割を果たしてきた。職能集団といえば今ではかの清掃業者かヴァポレットの運航会社、そしてゴンドリエリくらいしか目につかないが、往事のヴェネツィアで特に重要だとされていたのはpistòri、これはパンの製造者である。主食であるからして、この食物は中世の終わりまで広範な法規制の対象となっており、その規制は小麦粉の品質、作業法、パスタの種類、調理方法、販売、価格にまで及んだ。

ヴェネツィアには、l'albus(白パン)、tota farina(全粒粉パン)、そしてil traverso(篩った小麦粉を使ったものと推測されている)というタイプのパンがあったという。ジュゼッペ・タッシーニという人によるとヴェネツィアのパンは「今では失われた熟練の技によって、虫に食われないという特徴を持っていた」そうな。これはつまり「日持ちした」と言いたいのだと思われる。

前回取り上げた牛タンのサルミストラータについて調べていた際、保存料として硝酸カリウムを遠慮なくぶち込むというやり方を見た。現代でもハムやソーセージについてあれこれ議論となっているのが折に触れて見受けられるが、船旅の糧食とすることを最優先に改良が行われ、結果、虫も食わなくなったパンというのは一体どんな味がしたのだろう。

イタリア人が調べても分からないことを日本人が考えても仕方ない。それはそれとして、この街でもっとも豪華なパンはbuffettoといった。マランゴーニによると「精選された極上の小麦粉で仕立てられた真っ白なパンで、少量のバターや砂糖が加えられることもある」とのこと。ヴェネツィアではポレンタでも黄色いものより白いものの方が高級とされるが、手間を加えて精製されたものの方が珍重されるのは日本の米でも同じ理屈で、別に珍しいことではない。現代では真っ白の方が不自然だといってあれこれ混ざったパンの方が流行っている様子なのもまた同様である。

もうひとつ重要な組合にlasagnèriその他パスタ類製造者の職業組合というものがあり、これは1638年になってつくられたものだという。共和国の歴史を考えればかなり新しい部類に入るが、しかし彼らはすぐにヴェネツィアの食において重要な役どころを占めるようになる。ラザニェーリたちは自身の工房でパスタを売るだけではなく、自分の家でパスタや菓子を作りたいという人々の要請に応え、精製した小麦粉も売るようになった。

さらにはscaletèriあるいはbuzoladi[チャンベッラ職人と但してあったが、ブッソーラが元であるように思える]と呼ばれた菓子職人もあり、彼らは道端で菓子を売っていた。マランゴーニによるとしかし「この行商人たちは、一箱以上のチャンベッラとコンフォルティーノ(コショウと蜂蜜ベースの菓子)を持ち歩くことを許されていなかった」という。この職種は多くの禁則、たとえばパスタ菓子を女性・馬・鶏・鳥の形にしてはいけないとか、堅信式の期間中は教会内で菓子を売ってはいけないなどという、ときにはむしろ滑稽とも見えるような規制に縛られていた。

そして真打ちとなるのがfritolèriである。またもやマランゴーニによると「今日においても大衆的な菓子のトップであるように思われるヴェネトの国民的な菓子la frìtola (frittella)はこの街のあちこちの地区で売られており、たいていは外から作業の様子が見えるような木造の四角いバラックの中で作られていた」。

これらの職人達は製造と同時に販売もしており、「大きな板の上で小麦粉をこね、その後オイル、ラード、あるいはバターを使い、三脚にのせた大きなフライパンで揚げていた。調理が済むとそのフリッテッレは、様々な方法で豪華に彩られた錫や白鑞製の皿に陳列された。また他の皿には商品の美味しさを宣伝するため、松の実、干しブドウ、シトロンなど、使われている素材が並べられていた」。

全体的にヴェネツィア料理ではラードなどの獣脂を使わず、desfrito[ヴェネト語で炒め物]の調理にはオリーヴオイルやバターを使うのが基本である。ついでにいうと、炒め物に使うペースト[下味]にはほぼ常にイタリアンパセリと玉ねぎをみじん切りにしたものが使われていた。よってラードを使うのはほぼフリトーラに限られていたそうだが、コストの面ではそちらの方が安くついたのだろうか。ちなみにイタリア語でラードはstruttoあるいはsugnaという。lardoという言葉も別に出てくるので暫し考え込んだが、これはどうも脂身という文脈で使われるようである。

フリッテッラというのは小麦粉、砂糖、牛乳、卵などを混ぜて作った生地を揚げたものの総称である。要は単なるドーナツ菓子であるが、ヴェネツィアではカルネヴァーレの時期に作られる球形のものがもっとも有名だろう。また帰国直前の昨年三月、行きつけのパン屋で「こいつはヴェネツィアの伝統的なお菓子だよ」と言われ、いかにも復活祭風の卵形の揚げ菓子をオマケにもらったのだが、これも「フリッテッラ」と言っていた。

エリオ・ゾルズィは「カルネヴァーレとすべての祝聖記念日にはフリットーレ、謝肉祭最後の木曜日にはガラーニが作られた」と記しているが、この「ガラーニ」も生地は同じようなものである。板状に薄く延ばして所々切り目を入れて揚げ、仕上げに粉砂糖をしこたま振りかける。

ヴェネツィアを出ればこのフリッテッラにはさらに多くのヴァリエーションがあり、イタリア各地で独特の形をしたものが作られている。そして形が違うだけではなく名前まで変わることがあり、そうすると同じような味でも別のものとして認識されるようだ。先述した「パスタ菓子を女性・馬・鶏・鳥の形にしてはいけない」という規制の背景にはそういうことがあるのだろう。これは揚げ菓子ではないが、馬と聞いて以前紹介したサン・マルティーノというパスタ菓子のことが思い出された。

生地からして違うものにzaetiという菓子があるが、これはzaeti(ヴェネト語)→zaleti→gialletti(標準イタリア語)とたどって「黄色い」という形容詞につながるものであって、トウモロコシの粉が入っているためにこのように呼び習わされる。しかしbussola braneo (bussola di Burano)とesse di Branoの二種は、丸形(ブッソーラは羅針盤の意)かS字形かという違いだけで、作り方は同じである。ちなみにこれらは食後にreciotoとかzibibboとかヴィン・サントとかいう糖度の高いワインに漬けて食べることが多い。

この辺までは滞在中に見知っていたが、エリオ・ゾルズィの邸宅におけるvigilia di Nataleクリスマスイヴの夕食についての回想を見ると、クロッカンテ、モスタルダ[クレモーナの菓子、マスタード入りシロップに漬けた果物のピクルス]、マンドルラートに加え、i stortiというものが目についた。このエリオ・ゾルズィという人についてはまだきちんと調べていないが、最後の証人というか、近代に生き残ったヴェネツィア貴族だったのだそうな。この人の息子のアルヴィーゼ・ゾルズィが昨年までご存命であったと言えば時代感覚が分かるだろう。

クロッカンテはスペイン起源とみられているが、モスタルダとマンドルラートはクリスマスの時期に作られたヴェネツィア特有の菓子だという。マンドルラートは辞書を引くとヌガーのことだとあり、だとすればフランスの方へ遡っていくはずなのだが、ヴェローナのコローニャ・ヴェネタという地区で生まれたものとされている。画像検索してみたところ、あちこちのパスティッチェリアで山積みになっていたのはこれだったのかと思い至ったが、いかにも味がしつこそうでまったく食指が動かなかったような記憶がある。

ストルティという菓子については覚えがない。どうやら一時期失われていた菓子のようで調べてもわずかな情報しか出てこないが、ガンベロ・ロッソのウェブサイトにも載っていたのでまったくマイナーというわけでもない。ソフトクリームのコーンのような形に作ったcialdeというものにホイップクリームを詰め込んで食す。

ヴェネツィアのお菓子なのにティラミスの話が出てこないと訝しむ方もおられようが、これはかなり歴史が浅いもののようなので今回は出番がない。ともあれ、今のうちから年末に向けて菓子作りの修行を始めなければいけないような気がしてきた。相変わらず先の見通しが立たない状況なのではあるが。