疲れ切った人について

平均して月に240時間程度という労働時間はこの国ではたいしたことないのかもしれないが、私がイタリア帰りだということを少しは考慮してほしい。毎日のようにNon esisto senza vacanza! と心の中で叫んでいるのだが、日本人である上司の耳には届かないようである。

碌に休みも取らずに、半年以上にわたって一日中建物の中でじっとしているような仕事を続け、たまに録画した「小さな村の物語」を観たり、4月25日にはrisi e bisiを作ったり、後先考えずに大量のバッカラ・マンテカートを作ったりしてひたすらイタリアを懐かしみながら考えたこともあるのだが、ここはそういうことを書く場所ではないので措く。

さて、間が空いたことを幸いにしばしヴェネツィアから離れ、田園地帯へ向かってみるのもよかろう。こちらにとって幸いなことに、そしてそこに住むことになった当人にとっては残念なことに、この土地の人々の生活はヴェネツィアの政治や経済の情勢とも密接につながっていた。共和国の力が衰えたことで財を失った貴族たちが都落ちしていった、という流れがあって、そのお陰で当時の様子が記録に残ったことが「こちらにとって幸い」である。

貴族階級であるイァコポ・アントニオ伯爵と淑女アンジェラ・ティエポロとの間の息子であったGasparo Gozziガスパロ・ゴッツィという人が今回の主人公である。彼は崩壊しつつあった一家の財政を立て直すことができず、1740年の秋、Motta di Livenzaの少し先にあるVicinale[Visinale?] di Pasianoの田園地帯の邸宅へ隠遁した。友人たちに当てた多くの手紙の中の一つで自身が述べているらしいのだが、そこで彼は主に「読書、思索、執筆」に専念したという。

では彼の友人であるアントン・フェデリーゴ・セゲッツィに宛てられた最初の書簡を見てみよう。「ああ、かくも私は疲れ、打ちひしがれている。互いに会われぬ恋人たちのように煩悶に満ちた手紙で遠くから愛を確かめ合うことに。私を慰めてくれ、一度でもいいから慰めてくれ。この小さな屋敷は君たちのご来迎の栄を賜る日が来ればいくらかましにはなるだろう。私の小さな隠れ家に君たちが集まってくれたらそれが私にとってどれほど嬉しいことか! このMeduna[Metuna?] di Livenzaメトゥーナの岸辺で我々の交わすであろうメッザ・ヴォーチェの歌声のなんと麗しきことか! 詩人たちにとってそこは祝福された場所であり、私の家から一マイル離れたところにあるノンチェッロではその昔ナヴァジェロ[Andrea Navagero、共和国の公認歴史家]が散歩していたものだ。その頃のようにその最奥にニンフたちが居るかどうかは分からないが、しかし、マスやカワヒメマスがいて、一人のニンフを選び出すだろう。さあ行こう、小舟に乗ってFossettaフォッセッタまで。それから主の御名において荷馬車屋の手に身を委ね、モッタに着いたら別の荷馬車に乗り換えれば、そこから二時間ほどで私の話している小さな邸宅が見つかるだろう。すぐに慣れてしまって、道中がいくらか退屈なものとなるのは事実だ。輝かしき偉大なBrentaブレンタ川では、進むごとに邸宅が見えるが、それはきっと奇妙で、ときに倒壊した家のように見えるだろう、または長い長い並木が続き、そして大地はキリストの恩寵を欠いた土地のように見えることだろう。しかし少しの居眠りと鞭の音、さらに馬の首の鈴の音がそれを紛らわせてくれる。そしてここに着いたら、最初は生け垣の中に隠れた十か十二羽のナイチンゲールが歓迎してくれる。それはこのうえなく耳に快いはずだ。私は入口に立っていて、君たちに駆け寄って歓喜に満ちた抱擁をする。そしてまもなくオンドリ、カモ、若鶏、シチメンチョウがクジャクみたいに君たちにつきまとうことになる。きっとやっかいだが、しかし我慢する必要がある。というのも、これらの獣たちに何か言えとか、こちらの言うことを聞けとかいうのは不可能で、そいつらは君たちのために命を差し出し、茹でられたり串刺しにされたり切り分けられたりすることになるからだ。この練兵の指揮官は跛の田舎娘で、こいつは美味いパスタというものを見たことがない。それは彼女がこの練習生たちを心から愛しているからで、奴らを締める度に感極まって、べそをかきながら鶏たちの死を見届けるのだ。飲み物はルビーのように色づいたワインで、飲んだと思ったら喉から膀胱へ巡り、そして地面へ落ちる。パンは今降っている雪のように真っ白だ。しかし何にもまして最上の喜びは、満足のあまり声がすぐに力を失い、常に歌っていられないことだ。もしこの小さな屋敷が君たちのお気に召さなければ、ゴンドラを呼び、カバンやトランクを持ってそれに乗り込んで急いで帰ってしまえばいい。君たちの機嫌を損ないたくはないから。」

出てきた地名をヴェネツィアから近い順に並べると、リヴェンツァ川に沿って遡りながら、モッタ、メドゥーナ、ヴィシナーレ、ノンチェッロとなる。フォッセッタという地名は検索するとキオッジャの辺りに見つかるのだが、どう考えても文脈に合わないので今のところ不明。ニンフ云々の件については、ナヴァジェロの記述にニンフが出てくるのであろうというのはそれとして、その後の部分はちょっと意味が通らない。しかしいくら考えても分からないので放置。この手紙は最後の部分が自虐的というか、突然自暴自棄になるところがちょっと心配である。

もちろん行ったことがないのでどんな場所だか分からないのだが、平野部の田園地帯を荷馬車に揺られて旅するというのは悪くないイメージである。今行こうとすればバスに乗ることになるのだろうが、古いFIAT 500あたりを借り出してガタゴト走っていきたいものだ。そうすると帰りにゴンドラに乗れないのが難しいところではあるが。

別の友達、ルイージ・ピッツィに宛てられたガスパロの手紙の中では、サン・レオナルドの祝祭が描写されている。それは彼の邸宅からそう遠くない場所で復活祭の木曜日に祝われ、人々は土地の農家の草原のうえに佇み、昼食を取る。「(男女の農夫たちは)森に着いたら小さな教会へ赴き、祈りを終えたところで楽しい時間が始まる。ここでかごを開いて、frittate fredde冷たいフリッターテ, ova sode固茹で卵, odorifere cipolle e capi d'agli香しいタマネギやニンニクを取り出すのだ。そして何よりZuccheカボチャの栓を開ける。その身は白か朱色のワインで満たされており、樽、カラッファ、そして招待客の杯となる。立っている人、座っている人、寝そべっている人が居て、大地のうえで食事が始まる。爪でちぎって、あごで砕いて、そして愛を込めて例のカボチャに口づけるのだ……飲み食いの合間に冗談が混じる……。」こう書く合間に彼は友人に問いかける。「君もここに来て、道端にフリッテッレの店が建つのを見てみないか? ほかにも見物はある、そいつは田舎の人たちだ。通りを歩くのも壮観で、両側にいろんな類いの店が連なっているのが見える。それに頭巾を被った女の子たちを見るのも素晴らしい。彼女たちが自在に操るフライパンから立ち上るオイルで、彼女らの頭巾は煤けているのだ。」

先の手紙で家禽がたくさん出てきていたのもそうだが、フリッターテや固茹で卵と、卵を使ったものが並ぶのもヴェネツィアとは違って内陸らしい。odorifere cipolle e capi d'agliというのは字義通りに「香しいタマネギやニンニク」と訳してみたが、検索してもこの手紙の原文が出てくるだけだった。ハーブか何かで香り付けした漬け物のようなものだと思われる。

白や朱色のワインとある部分の「朱色」というのはvermiglioという単語で、ワインの色を表すのに赤・白・ロゼ以外にそういう単語を使うのかと思って調べてみたが、この言葉はワインと関連した場合には産地を指すことが多いようだ。ガルダ湖の北の方だからそこまで遠い場所ではないが、当時の距離感覚ではここからワインを運んできたとも考えられないので単純に朱色ということで決着。そしてカボチャをワインの容器として使うというのはどう考えても誤訳ではないかと思われるのだが、文法的にはほぼこれで間違いない。ただし、当地で使われていたワインの容器がその形状から「カボチャ」と呼び習わされていたという解釈もできないことはない。

それにしても田舎では祝祭の出店が素朴である。これがヴェネツィアだと以下のようになる。

バターやチーズを加えたポレンタ、そしてドルチェ・デ・ヴェデーロ、これはゾンピーニという人によると「良質な牛の血」、つまりバルドーナの一種であり、したがって後には豚の血で作られることもあったという。さらに「安物の」魚、「2ソルド」や「1マルケット[聖マルコの肖像が描かれたヴェネツィアの通貨]」のザエーティ、フリトーラとズィビッボ、はたまたフォルピ・ダ・リージつまり卵を持ったものや、雄であるフォルピ・ダ・コーチョ[ともにイイダコ]、サザエあるいはカラグオイ、洋梨やリンゴを煮たペトラーリなどが売られていた。

街の路地に散らばったタコ売りたちは人々の気を引くためにこう叫んだ、「どうだい!子持ちダコだよ!雄ダコはいらんか!」。そしてサザエ売りについてはエミリオ・ニンニがこう書いている、「ヴェネツィアの街では、丸々として大きいよ!熱々のハゼもいかが!という呼び声の聞こえない場所はなかった」。

ヴェデーロというのはヴィテッロ、つまり子牛肉だと見当がつくが、baldonaバルドーナの一種といわれてもそんなものは知らない。カラグオイというのはサザエ売りを指す方言のようである。ともあれ、ヴェネツィアの方が全体的に暑苦しくて生臭いのは十分お分かりいただけたであろう。やっぱりこれくらい元気でないといけないのか。