小さな花籠について

件の本に掲載されている話はそれぞれ分量に差があり、そのときの勢いに合わせて適当に見当をつけながらつまみ食いをしているのであるが、ここへきてやっと、巻頭に収められている話に目を通してみた。ところが、素読の段階でこれは「黄金のガチョウ」や「笑わない王女」のヴァリアントだと分かる。

巻頭に借り物の話を置くというのはどういう了見か、これは飛ばしてしまおうかとも考えたが、そういえば彼らには元々オリジナリティを重視する態度がないというか、向こうの文化圏にあっては厳密に起源を云々することに大して意味はないのだった。そう思い直したうえで再読してみたところ、これはこれで、アレンジされた細部にヴェネツィアーニの品格というものがよく表れているのではないかと考えるに至る。小学生くらいの男の子を笑わせようとすればこうなるのも分からんではないが、それでもイタリア人の笑いのセンスってこんな感じやったなぁ、と。

人目につかないこのブログではあるが、紹介程度の分量ならともかく、いくつもの話を丸ごと訳してここへ載せるというやり方については、そろそろ権利関係に注意した方がいいのではないかという問題もあった。が、そもそもこれらは民話であるし、編者の序文の日付が19世紀であることから考えてもまず支障はない。というわけで例の通りお目にかける。


EL ÇESTELO DE FIORI

あるところに王がありまして、その王にはこれまで一度も笑ったことがないという娘がおりました。彼女はどんな娯楽でも手に入れることができましたが、何であろうと彼女の口元をわずかにでも動かすことはできません。父はもうこれ以上どうしてよいか分からなくなり、ある日、以下のようなお触れを出そうと考えました。娘をうまく笑わせた者はそれがどんなに貧しい者であろうと彼女の夫とする、そして王女を笑わせようとこのパラッツォまでやってきて試練に挑んだ者について、失敗した場合は首を刎ねる、というものです。そうして王女を笑わせるために次から次へと多くの者がやってきましたが、上手くいったものは一人もおらず、みんな首を刎ねられてしまいました。

そんな中、あるところにお爺さんがありまして、ある日のこと、花を摘みに出かけました。庭園へ着き、たくさんの花を見て彼は言います。「この庭園の花は本当にきれいだなぁ! どれもみんな摘んでいきたいものだ。」彼は庭園に入って花を摘み始めましたが、そこへ三人の妖精が通りがかりまして、こんな話を始めます。「花を摘んでいるあのジジイを見てよ!」もう一人が言います。「あいつが持ってる籠に魔法をかけちゃうのってどう?」すると最後の一人が言いました。「いいね、あの籠に触った奴はみんなくっついちゃうことにしようよ。」

お爺さんは花を摘んで庭園を出ました。しかし花籠に魔法がかけられていようとはまったく知るよしもありません。彼はしばらく歩いて、ある通りにさしかかりました。もう夜です。「そろそろ夕飯にでもするか。」またしばらく歩くと、一軒のオステリアを見つけました。中へ入って食事を求めます。飲み食いしていると夜も更けましたので、彼は言いました。「夜になったし、もうこれ以上は出歩けないか。でもこの田舎には頼れるところもないな。」彼は亭主を呼んでお勘定を頼みます。「いくら出せばいい?」亭主は答えます。「たくさん。」お爺さんはお金を取り出して支払いました。支払いが済んだ後で、彼は寝床がないだろうかと尋ねます。亭主は、娘たちの部屋の奥にある一室しかないと答えます。お爺さんは言いました。「どこであろうと、このとおり年寄りなので心配は要らんよ。」

こうしてこのお爺さんはオステリアに泊まりました。彼が上がっていくと亭主の三人の娘がやってきてお爺さんの持つ花に目を留め、彼氏にあげる花を一つくれないかと頼みます。お爺さんは、一つもあげられないと答えました。彼女たちはしつこく頼みましたが、それでも彼はまったくあげようとはしないのでした。そこで彼女たちは相談します。「とりあえずほっといて、あいつが寝てから夜中に一番きれいなやつを盗んでやろうよ。」三人はこのように示し合わせました。

お爺さんは支度をしてベッドに入り、眠りにつきます。三人の娘たちもまた寝ようと、自分たちの部屋へ戻って寝る支度をしました。「あいつがぐっすり眠るまで少し待って、それから花を盗みに行こう。」この夜は暑かったので、彼女たちはみんな下着まで脱いでしまいました。そしてお爺さんが寝入った様子なのを窺って、一人が起き出します。お爺さんは目覚めていましたが、いびきをかくふりをしながら、真っ暗で何も見えない中で、この娘がすることをずっと窺っていました。そして、この娘が花を取ろうとすると、花籠にくっついてしまいました。

ベッドの中で最初の娘を待っていた残りの二人は言いました。「どうしたんだろう。やたら時間かかってるよね?」お爺さんが起きないので、彼女たちは気を抜いて話し始めます。最初の娘が言いました。「花籠にくっついちゃって戻れないの。」「待ってて、私が引っ張ってあげる。」もう一人が起き出して引っ張りに行きました。何度も引っ張りますが、彼女もまたくっついてしまいます。ずっと待っていた三人目の娘は、誰も戻ってくる気配がないのを見て言いました。「まったくどうなってんのよ。誰も戻ってこないじゃない? もし気付かれたらボコボコにされるよ?」他の二人は答えました。「あんたも来て、はがせないかどうかやってみてよ。二人ともくっついちゃって戻れないのよ。」三人目も起き出して引っぺがしに行きましたが、彼女もまたくっついてしまいました。

お爺さんはベッドの中で寝たふりをしながらひそかに思いました。「これは面白いことになったな。えらく頑張っているようだが、どうしたものやら。」花籠にくっついてしまった三人の娘はお爺さんに呼びかけます。「お爺さんお願い。この花籠を外してよ。私たち離れられなくなっちゃったの。」お爺さんは言いました。「私の花を盗みに来たのだろう。外してはやらん。」娘たちはこのままでは父親にばれてしまうのではないかと怖くなり、泣き出しました。お爺さんは言います。「わしもどうしたらいいのか分からん。くっついたままにしておくより他にないんだ。」娘たちもどうにもなりません。お爺さんは独りごちました。「どうしてこんなことが起きたのだろう。何も見た覚えはないが、この花を取りに行ったときに魔法でもかけられたのだろうか。」そうして彼は考えました。「これは王女様のところへ行くのにお誂え向きだな。」

翌日になり、お爺さんは起き出して言いました。「わしも挑戦してみたいと思うんだ! 首を刎ねられる可能性はあるけれども。」娘たちは泣き出しながら言いました。「お爺さんお願い、私たちを離してよ。私たち裸だし、お父さんがこれを見たら間違いなくぶっ殺されるわ。」彼は言います。「娘たちよ、わしもどうすればいいのか分からんのだ。これがいったいどういうことなのか、わしがこれらの花を摘みに行ったときに魔法をかけられたんじゃないかとは思うんだけれども。まあ、こうなったら一蓮托生、何も言えることはない。わしと一緒に来い。」こうして娘たちは彼と一緒に家を出ます。裸なので三人とも恥ずかしがって泣いていましたが、起きる前だったので彼女たちの父親は何も気づきませんでした。

しばらく歩くと、彼らはアヴェマリアを歌いながら歩いている墓守に出会いました。この墓守は手に教会の扉を開けるための鍵束を持っていましたが、この一行を見て言いました。「おい、この恥知らずのジジイ! そんな格好の三人の娘を往来に連れ出して何とも思わないのか?」そして彼は三人娘の一人のおしりに鍵束を宛てがいました。そして彼もまたくっついてしまいました。

彼らはみんなくっついたまま、お爺さんの後ろについてしばらく歩き、パンの入っているたらいを頭に載せたパン職人に会いました。彼はこの一団を見て言います。「このくそジジイめ、どうしてそんな格好の娘たちを連れて表を歩いているんだ、可哀想に!」そうして墓守に蹴りを入れようとしましたが、彼もまたくっついてしまいました。

彼らがさらに歩くと、うんこをしている男に出会いました。この男は彼らの様子を見て言います。「やあ、ひどいものを見たなぁ! こんな一行は今まで見たことがないぞ。」彼は(お許しを)おしりにうんこを付けたまま立ち上がり、パン職人に蹴りを入れようとしましたが、彼もまたくっついてしまいました。

お爺さんはこの出来映えのばからしさを見て言いました。「ああ、わしは年寄りだけれども、きっと王女様を笑わせるぞ。」彼らはさらに歩きますが、くっついた三人の娘はいつも一番恥ずかしがっていました。一番最初からくっついていましたし、人々はみんな彼女たちを見ていたからです。

そうして少し進んだところに、草を食べているガチョウたちがいました。ガチョウたちはおしりにうんこがついた男を見ると、そのうんこを食べようと寄ってきましたが、そのガチョウたちもまたくっついてしまいました。

お爺さんは言います。「もういい! これ以上は要らん!」そこで彼らはその場で止まり、お爺さんは覆いを手に入れてみんなを隠し、そうしてまた進んでいきました。

さらに歩いて、彼らは例の王女様のパラッツォにたどり着きました。入口のところに門番がいて、何の用かと尋ねますので、お爺さんは王女を笑わせに来たのだと答えます。門番は言いました。「ああ、多くの者がやってきたが、誰も上手くいかなかったのだぞ。」お爺さんは言います。「結構、私も挑戦してみたいのだ!」―「分かった分かった、それなら何も言うまい…」そしてこの門番は召使いを呼びました。召使いは王のところへ行って言います。「偉大なる王陛下、王女様を笑わせようという者が参りました。」王は言います。「中へ入るように伝えよ。」

そうしてお爺さんは一行とともに前へ出ました。彼は件の王女が部屋にいるのを見つけると、この一行の覆いを取ってみせます。これを見ると王女は大笑いし始めたのでした。もうこれ以上無理というところで彼女は言います。「十分、もう十分よ! これは傑作だわ!」そうすると、くっついていたものすべてがばらばらになりました。

王は自分の娘が自由を取り戻したのを見て満足しました。彼女は魔法をかけられていたのです。そして彼はお爺さんに言いました。「おまえが我が娘の結婚相手となろう。」お爺さんは答えます。「偉大なる王陛下、もし王女様が結婚を望まないのであれば、私は貴族にしていただくだけでいいのですけれども。」王は答えます。「いや、王の言葉に二言はない。おまえが彼女の結婚相手となるのだ。年を取っていたとしても問題ではない。」―そうしてお爺さんはそこに留まり、王の娘と結婚しました。

それから王はくっついていた者みんなに金を与え、それぞれの家へ送り届けました。そしてあの娘たちですが、王女は彼女たちを頭からつま先まできれいに着飾らせ、一人一人に高価な贈り物をしましたので、彼女たちもすっかり満足して家に帰りました。


……「お花を摘みに」という表現はもしかするとこれが起源なのだろうか。それはともかく、亭主が勘定を求められて「たくさん(tanto)」と答えるところがちょっと不自然かと思ったが、ここに具体的な額を入れるのも難しいであろうし、適当にぼかしてあるのだろう。墓守の鍵が何の役に立っているのかもよく分からないような気がするが、墓守の行動は娘の尻を隠そうとしたものだろうか。ともあれ尻と鍵という組み合わせにはなにやら象徴的な意味がありそうである。

結末部分を見るに、王女に魔法をかけていたのも例のイタズラ三妖精の仕業かと思えるが、何よりも「うんこ」のインパクトが強すぎるため、それ以外の何もかもがどうでもよくなってしまうのであった。往来を歩いていたらうんこをしている男に出会い、その男がその体勢のままフランクに話しかけてくるというだけでも大概のことだが、さらにそいつが尻からうんこをぶら下げたまま襲いかかってくる、というような状況も中世のイタリアではありうることだったのだろうか。

だいたいこの男、一行を見て「ひどいものを見た」などと言っているが、せっかく若い娘たちがあられもない姿を披露してくれていたところへ、ひどいものを見せられたのはこっちの方である。きれいな花で始めておいてうんこで落とす、というこの落差は計算してのことであろうが、それにしてもやって良いことと悪いことがあるのではないかと思う。