フリウリの民が如何にして生まれたかについて

とりあえずイエスが出てくる話をまとめて片付けてしまおうと思って深く考えずに選び出し、見るからに短い話だったので油断していたのだけれども、今回もなかなかに扱いが難しい話である。避けたつもりであったのに程なく「うんこ」に突き当たったことも憂慮すべきなのではあるが、問題はそこではない。まずは見ていただこう。


COME XE NATA LA NAZION DEI FURLANI

我らが偉大な主は、聖ペテロとともに馬に乗って散策にお出かけなさいました。語らううちに聖ペテロは主に申します。「主よ、貴方はあらゆる民をお生みになりました。それは良き民ばかりです。しかしフリウリの民はお創りなさいませんでしたね。」主はお答えになります。「いえ、フリウリの民も創りたかったのですが、神を罵るような言葉しか発しないような劣悪な民となってしまったのです!…本当かどうか、見てみますか?」主が馬から降りられたところ、そこに大きな大きな犬のうんこがあります。主がそのうんこに蹴りを入れたもうと、一人のフリウリ人が現れ出てきました。―「神のこん畜生め」そのフリウリ人は言います。「俺様が出てきてやったぞ。」そこで主は聖ペテロに仰いました。「彼らが本当に涜神の民であるのを御覧になりましたか?…ええ、かつてもこのとおりだったのですよ。」このようにしてフリウリの民は生まれたのでした。


……どう文体を工夫しても冗談にしかならないが、それにしてもヴェネツィアーニから「うんこ野郎」扱いされるフリウラーニとは一体何なのか。

フリウリはヴェネト州の東にあり、オーストリアと国境を接する地域である。ここの産物で日本人にも馴染みのあるものといえばサン・ダニエーレのプロシュットくらいではないかと思うが、それはともかく、この地域はヴェネツィアの敵であった蛮族共が侵攻してくる方向にあった。ランゴバルド王国、シャルルマーニュ、そしてアクィレイア司教区と、どの時代であっても何かしらヴェネツィア共和国と衝突している。その後15世紀には共和国の支配下に入るのだが、対立していた古代の歴史的記憶が残っているということなのだろうか。

18世紀、その歴史の終焉へと向かうヴェネツィア共和国はいろいろあって(詳しいことは塩野七生氏か永井三明氏の著書にあたられたい)遠距離交易の優位性を失い、後背地での農業や工業に依存する割合を高めていた。そんな時代にフリウリの各都市は絹織物・紡績・銅細工などで共和国の経済を支えてくれていたらしいのだが、そんなつながりはこの話からは微塵も感じられない。

アナクロニズムについては今さらなので突っ込まないが、わざわざイエスの口を借りて「劣悪な民」と言わせるところには並々ならぬ敵意が感じられる。1100年間の歴史の中であらゆるところと悶着を起こしてきたヴェネツィア共和国であったが、「ピピン」や「トルコ人」については現在のヴェネツィア語の慣用表現にまで残っているものがあり、それは余所者でも少し勉強すれば納得できるものばかりである。しかし、これまで共和国について読んだり聞いたりした話のなかで「フリウリ」という言葉がこれほど強調されたものについては覚えがない。

ということでお手上げである。何かご存じの方は是非ご教示賜りたい。