南瓜切という包丁について

季節はすっかり夏に入った。ヨーロッパの暦がどうなっているのか詳しく知らないが、しばらく前に「学校が終わった!」と掲げてセールをしている店があったのをみると、もうとっくに休みに入ったもののようで、大学や図書館も閑散としている。そして家族連れだったり社会見学と思しき団体だったりで、街中には明らかに子供の姿が増えた。しかし子供が古くさい街に興味を持つはずもなく、顔を見ると皆あまり楽しそうではない。

さすがにジャケットは着ていられないのでクリーニングに出した。アパルタメントから一番近い店で、その辺りの地名そのままの名が付いた店である。伝票を見ると、どうやらウェブサイトもあるらしい。服飾に関してはさすがイタリアだと感心させられたが、ラペルの部分のプレスが素晴らしい仕上がりだった。

これを受け取りにいった際、店主が私の顔を見ただけで伝票も見ずにジャケットを取りに行ったのは、こちらが特徴的な東洋人の客であるから不思議はない。ただそれを手渡してくれたときのこと、店主はジャケットを見てこっちを見て、そして意味ありげな笑いを浮かべながら「Arrivederci.」と言った。前にもちょっと書いたが、イタリア人は愛想笑いなど滅多にしない。ジャケットがイタリア製の生地を使って仕立てたものだったので、これは「あんたなかなか分かってるじゃないか」という意味だと受けとった。我らが水道筋の「ゑみや洋服店」の仕事はイタリア人にも通じるものがあったようだ。

リストランテなどに限らず、イタリアの店の名は通りの名前や店主の名前そのままというものが多い。このクリーニング店は地名の後に店主と思しき人の名が掲げられているのでその両方なのだが、そうやって自分の名前を前面に出して仕事をしようという気概が好ましい。住宅街の隅々まで大手チェーンの看板ばかり、寄らば大樹の陰、という日本とはまた好対照である。ちなみにヴェネツィアでスーパー以外にチェーンといったら「Rosa Salva」というカフェが四店舗(そのうち一軒はメストレ)あるのと、名前は覚えていないがジェラートの店で同じ看板を出している店が数軒、「GIUNTI」という本屋が数軒あるくらいか。アメリカの大手ハンバーガーチェーンの店は一軒だけある。いつ見てもあまり客は入っていない。

Mの字が特徴的なこの大手ハンバーガーチェーンであるが、リアルト近くのとあるショーウィンドウで「I'm fat」のmの字がこのチェーンのロゴに置き換えられているTシャツを見た。「I'm lovin'it」のパロディか。同じ傾向のもので「F○○k facebook! I've got real friends!(原文伏せ字なし)」「F○○k google! Ask me!(やはり伏せ字なし)」というものも売られている。ただアメリカが嫌いということなのかもしれないが、やはり新しいものが駄目なのだろう。以前食品包装用ラップに絡め、イタリアは進歩を拒否していると書いたが、それはこういうものを見ていたからである。

さて、平和な散歩に戻ろう。ファッション業界の慣習というのが私には未だに理解出来ないのだが、あれは必ず一つ季節を先取りしたものを扱わなければならないものなのだろうか。夏の最盛期はまだまだこれからだというのに、ショーウィンドウにずらっと革のジャケットを並べられたのでは暑苦しくてかなわない。隅から隅まで革のジャケットである。おまえたちはそんなに革が好きか、と思って我が身を振り返ってみたら、鞄も財布も小銭入れも靴もすべてイタリア製の革であった。

あちこち歩いて、最近は遠くのスーパーにも行ってみるようになった。そうするとほとんどのところが普通のスーパーの広さで、狭いのはリアルト周辺のスーパーだけだということが判明する。これだから中心部などに住むものではない。何も分からないまま大学のハウジングオフィスが提示してくれたところに入ったので、自分で選んだのではないけれど。

アスパラは直径7-8センチの束でしか売ってないので、ちょっと多いな、と思って敬遠しているうちに季節が終わってしまった。白アスパラがこの辺の名産だと先頃何かで読んだのだが後の祭り。セロリももう見ない。最近ではレモンが目立ってきたというところか。量り売りのものも勿論あるが、これは大きな袋入りで売っている。一気に十個、二十個と買っても、イタリアではすぐに使い切ってしまえるのであろう。量り売りで買えば一個30セントほどで、日本の半額以下となろうか。この値段なら使い倒せるわな。

あまり火を使わない生活が続いているので、包丁の出番がめっきり減ってしまった。野菜は葉物ばかり食べているから手でちぎれるし、肉は保存食のプロシュットやブレザーオラばかりなので、買うときに店でスライスされている。自分で切るのはパンチェッタくらいのものである。

アパルタメントで使っている包丁は日本から持参したものだ。日本を発つ前に「新天地を切り開く」という意味をこめて大学のゼミの方々がプレゼントして下さったもので、私の名が彫り込まれ、守り刀のようなものとなっている。堺で作られたもので、またこれが恐ろしいほどによく切れる。だからこれで野菜を切っていると面白くて仕方ない。玉ねぎは下手なスライサーより薄く切れるし、ジャガイモなどはまるでそこに何も存在していないかのように切れる。

ちなみに、こちらの玉ねぎは生で食べるには向かない。淡路のものばかり食べていたので生でサラダにする習慣があったのだが、一回やってみて後悔した。水にさらしても、まあ食べられないこともないか、という程度。結構種類が出ているので、片っ端から試してみれば一つくらいはおいしいものもあるかも知れないが、面倒なのでこれはおとなしく加熱して食べるに限る。

ニンジンは野性的というかなんというか、細くて不格好で、どれも高麗人参みたいである。そしてまた異常に安い。全体的に野菜は安いような気がするのだが、ものが豊富にあるせいなのか、或いは品質が低いせいなのかは今のところ判断できない。

ある日のこと、アマトリチャーナを作ろうとして例の包丁でパンチェッタを切っていたところ、断面をみて初めて骨が付いていたことに気づいた。ばら肉を使って作るものだから骨があっても別段おかしくはないのだが、日本で売っているものに骨が付いていたことは私の経験では無い。そういう部分を避けて作るから日本のは無駄に高いのだろうかとも思うが、おかげで最初からその存在を意識せずに切っていたのだ。そして切り終えるまでまったく気づかなかった。

愚鈍な人間であることは自覚しているが、指先の感覚には自信がある。レジ袋が二枚重なっていれば触っただけで分かるし、パスタの茹で具合は木のフォークで鍋を混ぜれば判断できる。車のハンドルにかかる力の変化でタイヤが滑り始める前兆も感じ取れるし、部屋のドアを開けたときの圧力の変化で窓が開けっ放しになっているかどうかまで分かる。その私が気づかなかったのだからその切れ味は相当なものである。欠点といえば、あまりに刀身が美しいのでわずかな汚れも目立ち、手入れに時間がかかることくらいのものだ。

気に入った道具には名前を付ける習慣がある。せっかくこっちへ持ってきたのだから何かハイカラな名前にせねばなるまいとあれこれ思案した結果、これで最初に切ったのが当地のズッキーニだったことからTagliazucca(和名:南瓜切〔なんきんぎり〕)と銘すこととした。