2019-01-01から1年間の記事一覧

半身について

今回の話に「魔女」が出てくるのを見て、数ヶ月前のことだが、「小さな村の物語」という番組でブラーノが取り上げられていたときのことを思い出した。 話がいきなり逸れるが、この番組はかつて東芝が全面提供しており、番組冒頭では翻るトリコローレをバック…

七年間口を利かなかった娘について

以前も同じような展開があったと思うが、慣用的な悪態を吐いたらそのまま文字通りのことが起きるというのはどういう理屈なのだろう。Benedetto, maledettoという語彙の周辺を見ていると時折そういう気配を感じることもあるのだけれども、イタリアもまた言霊…

何も食べない妻、あるいは魔法の指輪について

食欲の減退する季節となったのでそれらしいタイトルの話を選んでみた。短いものなので今回は二本立てである。 'NA MUGIER CHE NO MAGNA 一組の夫婦がありました。あるときその妻が夫に、自分はもう何も食べない、と言い始め、そのとおり二度と食事をしている…

独身者たちについて

ヴェネツィアである必然性が今ひとつ感じられないような話が続いたので、今回は「Venezia」という単語が出てくる話を読んでみた。が、まずタイトルにあるorfaroniという単語がどの辞書にも載っておらず、ネットで検索してもこの話以外では使われていない。こ…

フリウリの民が如何にして生まれたかについて

とりあえずイエスが出てくる話をまとめて片付けてしまおうと思って深く考えずに選び出し、見るからに短い話だったので油断していたのだけれども、今回もなかなかに扱いが難しい話である。避けたつもりであったのに程なく「うんこ」に突き当たったことも憂慮…

十尺の布について

前回の話ではイエスが前座だったので、もう少し扱いのよい話を今回と次回でご紹介していこうと思う。どういう訳か相方は常に聖ペテロであって、これはヴェネツィアとの関連で言うと、彼が漁師だったからではないかと思う。 サン・ピエトロといえばまずはヴァ…

正義について

今回の話の冒頭に、前回触れた何ともいえない[che]の例があった。ヴェネツィア語の単語をそのまま標準イタリア語と英語の単語に置き換えてみたので、どうにも解釈できないこのもどかしさを是非とも体感して欲しい。 'Na volta ghe giera un contadin che el …

蟹愛づる姫君について

今回の話も多少荒っぽさはあるものの、道具立てに凝っているのでまだましな部類に入るだろう。すっかりヴェネツィア語にも慣れ、流し読みでも内容が理解できるようになったところで、実は「うんこ」関連のものがまだあったのを見つけてしまっていたりもする…

風に喰われる人について

今回は「ジャックと豆の木」や「黄泉比良坂」ふうな呪的逃走譚が中心で、全体的にどこかで聞いたような話の継ぎ接ぎであった。さすがにこれだけ訳してくると話の型が被ってくるのは仕方ない。もう前回ほどの強烈なインパクトは期待できないのだけれども、細…

小さな花籠について

件の本に掲載されている話はそれぞれ分量に差があり、そのときの勢いに合わせて適当に見当をつけながらつまみ食いをしているのであるが、ここへきてやっと、巻頭に収められている話に目を通してみた。ところが、素読の段階でこれは「黄金のガチョウ」や「笑…

山羊の頭と兎の耳について

次に何を訳そうかと例の民話の本を物色していたところ、塔から人が墜ちていく様子を描いた挿絵が目についた。トルチェッロのアレ(街の原点について - 水都空談)かと思ってその挿絵のある話を読んでみたが、まったくそんな場面は出てこない。イタリア人のす…

死んだ男について

以前買ってきてもらったヴェネツィア語の辞書にはまとまった文法解説があって、これがなければ何も始められなかった。また、ヴェネツィア語を読もうとする人間にとって聖典とも言える、Boerioという人が作った辞書があるのだけれども、それがいつの間にかGoo…

ブルジョワの食卓について

ヴェネツィア大学の軒先を借りていた頃のこと、肩書きだけはそれなりに客員研究員というものであったため、日本語学科の建物の三階(イタリア語では二階)、教員の研究室のあるフロアの一角に机を与えられていた。もっとも、図書館の最下層で文献を漁り、必…