十尺の布について

前回の話ではイエスが前座だったので、もう少し扱いのよい話を今回と次回でご紹介していこうと思う。どういう訳か相方は常に聖ペテロであって、これはヴェネツィアとの関連で言うと、彼が漁師だったからではないかと思う。

サン・ピエトロといえばまずはヴァティカンの大聖堂であろうが、一応ヴェネツィアのカステッロ地区にも彼の名を冠した聖堂がある。家主の本でレガータの起源の話(ならず者への対処法について - 水都空談)を読んでいたときにその名が出てきたので、私も一度ヴェネツィアの東端にあるその大聖堂まで行ってみたことがあるのだが、場所が場所だけにあまり観光客の近づくところではない。どちらかというと実務的な印象のある地域であった。

それはそれとして、イタリアの漁師町でサン・ピエトロと言えばまずはマトウダイのことである。体側の黒色斑は聖ペテロがそれを捕らえたときに指で掴んだ痕跡なのである、とヴェネツィア料理の本に書いてあった。どうしたって片手で掴んで指が届く位置ではないし、指の跡だとすると大きすぎるように見えるのだが、こういう話は最初からまともに取り合ってはいけない。日本語の「的鯛」程度の比喩しか飲み込めない私には、あれをまず指の跡だと見立て、聖人に結びつけていくことのできる奔放な(強引な)想像力が羨ましい。


I ÇINQUE BRAZZI DE TELA

聖ペテロと主のお二人が旅装束で街道を歩いておりました。そしてある晩のこと、彼らは遅くなってからある家の前にたどり着きました。聖ペテロは主に申します。「主よ、今晩はここで寝ることにいたしましょう。」主は仰いました。「ええ、そういたしましょう。」彼らが戸をたたくと、一人の女が出て参ります。彼らはその女に言いました。「私たちは旅の者でで、この時間までずっと歩いてきたのですけれ、今晩寝る場所を貸していただければありがたいのですけれども。」女は答えました。「ええどうぞ、いくらでもゆっくりしていってください、喜んで寝床をお貸ししましょう。でもちゃんとしたベッドがなくって、藁束が少し、あとは十尺ほどの布きれしかないのです。今すぐ持っていきますんでシーツ代わりに敷いてくださいな。」―「これはどうも」彼らは言いました。「できるかぎりで結構です…十分にくつろげますよ。」そうして女は寝床を用意しました。そして彼らは快適に夜を過ごし、眠りにつきました。

翌朝になって二人は目覚め、出発しようとしますと、女はすでに起き出してポレンタを作っています。女は言いました。「もう少し待っていてくださいな、ポレンタを作ってますんで、貴方たちもちょっと食べていってください。」―「いえいえ」彼らは言いました。「ありがとうございます、親切な方、寝床を貸していただいただけでもありがたいのに、また親切にしていただきまして。この後で貴女が最初に行ったことを、貴女は一日中続けることになるでしょう。」―「ああ、はい。」彼女は言います。そして彼らは行ってしまいました。

一人残された女は言いました。「ああ、すぐに藁を片さなくっちゃ。」そうして彼女は寝床を片付けに行きます。藁の上には布が敷いてありました。そして何ということでしょう! 彼女が布を引き出して、引き出して、引き出して、引き出して、次から次へと布を引っ張り出す手が止まらないのでした。そうしていると、彼女の夫が食事の準備の具合を見るために帰ってきました。彼女は言います。「ああ、食事ですって! 朝からずっとこうやって布が出っぱなしなのよ。昨日寝床を貸してあげた人たちが出て行くときに私に言ったのよ。最初にやったことを一日中やることになるってね。それで寝床を片付けようと思って布を引っ張ったら、後から後から布が出てくるのよ。」夫はすっかり嬉しくなって、家を出ると代母に会ったのでこう言いました。「お話ししたいことがあるのですよ代母様、家の妻が今朝からずっと布を引っ張り出し続けているんです、というのも、昨日寝床を貸してあげた人たちが出発する前に言ったのです。彼女が最初にやったことを一日中やることになるって。彼女が布を引っ張り出したら、今でもまだ次から次へと布を引っ張り出しているのですよ。」―「なんとまあ」彼女は言いました。「それはよかった! あんた達のところにいたその二人が私のところにも来てくれるといいのだけれど。」そういうと彼女は帰りました。そして驚いたことに、夜になるとあの二人の旅人がやってきたのです。「奥さん、もしよければ」彼らは言いました。「今晩寝床を貸してはいただけませんでしょうか?」彼女は例の布の二人組に抜け目なく備えていましたのでこう答えました。「寝床を貸してあげるのは何でもないんです、お二人がゆっくりするのに十分なくらいは。でもベッドがないのですよ。藁束が少し、あとは十尺ほどの布きれしかなくってね、すぐに用意しますから。」そこで主はお答えになりました。「奥さん、布を敷くまでもありませんよ。藁だけで十分です。」しかし彼女は布を敷かなければ藁しか手に入らないのを分かっていたので、こう言います。「いえいえ、これくらいはできますので、敷いてあげましょう。」彼女は言うとおりに藁を敷き、快適な夜を過ごせるようにしてから、彼女も眠りにつきました。

翌朝になり、彼女は早々に起き出すと、キッチンにこもってポレンタを作ります。旅人達が降りてきますと、彼女はそれを見て彼らのところへ行き、言いました。「少し待ってくれますか、貴方たち。一緒にポレンタを食べませんか?」―「いえいえ」彼らは言いました。「昨晩寝床をお貸しいただいただけで十分ですのに、また親切にしていただきまして。今日貴女が最初に行ったことを、貴女は一日中続けることになるでしょう。」そして彼らは行ってしまいました。

この女はすっかり嬉しくなり、上がっていって布を引っ張ろうとします。が、まさにそのとき、彼女はおしっこがしたくなって、こう言いました。「ちょっと待って。まずおしっこをして落ちついてから、一日中布を引き出すとしようかね。」彼女はおしっこをしに行きます。そしておしっこをしておしっこをしておしっこをして、丸一日おしっこをしました。彼女は布を引き出す代わりに、胃も腸も何もかもから水分を引き出されてしまいました。

その翌朝、主がお通りになり、最初に彼に会った女が駆け寄って言いました。「すごいですよ! 貴方たちに寝床を貸してあげた後、貴方たちは私にこんなにいいお返しをしてくださいました。」そこで主は仰います。「貴女たちのように清廉で、親切にしてくれる人はいいのですよ。貴女は恩寵を目当てに寝床を貸してくれたのではありませんので。しかし私が一日中布を引き出せるようにしたのを聞いて寝床を貸してくれた貴女たちの代母は、貴女たちに「私のところにも来てくれるといいのだけれど」と言いました。そうではなく、節度をもち、欲得ずくの親切ではなかったならうまくいったでしょうに。欲得ずくの親切に価値はありません。」こう仰せになると、彼は行ってしまいました。


……宗教色が出てきて、これは典型的な寓話かな、と気を抜いたところですかさず下ネタをぶっ込んできた。油断ならないものである。

Çinque brazzi(cinque braccia)については1 braccioが約60cm程だというので適当に合わせた。ありがたいお話であるばかりで大した突っ込みどころがないので、今回はこれでおしまい。