幸福の家あるいはぶどう畑の娘について

この文章を上げるために久し振りにブログを確認したところ、ここ数日のアクセス数が通常の十倍程度に跳ね上がっていた。こういうときは大抵ヴェネツィアのイベント絡みであり、そういえばカルネヴァーレの季節であったな、と検索してみたところ時節柄やはり中止の様子。詮無いことである。


CASA CUCAGNA

あるところに働こうとしない一人の娘がおりました。彼女は朝になりますと顔を洗い、髪を梳かしまして、扉の下へ座り込みます。そうして母親がお昼ご飯、あるいは午後の軽食、夕食の時間になって呼びに来るまではそこにいるのでした。

そんなある日、一人の若者がそこを通りがかりました。彼は扉の下にいる娘を見て気に入ったので、その母親に嫁にもらえないかと尋ねました。母は、あの子には何もいいところが無いから結婚には向かない、顔を洗って髪を梳いたら扉のところへ行く、それ以外のことは何にもできないんだから、と答えました。「いいでしょう」この若者は言いました。「それでも構いませんよ。」そこで母は答えます。「じゃあ嫁にやるさ、でもお願いだからあの子をいじめたり撲ったりしないでおくれよ。」彼は言います。「とんでもない!…いじめたり撲ったりなどしませんし、大事にしますよ。」

数日後、彼は彼女と結婚しました。祝宴を開き、それから彼女を田舎へ連れていきます。

彼はそこで母と暮らしていました。

朝になりますと旦那の方は着替えて出かけます。出かける前に彼は母へ言いました。「お母さん、覚えておいてくださいよ」

  幸福の家では
  働かざる者喰うべからず

母は言います、「分かったよ!」

嫁の方はといいますと、着替えて顔を洗い、髪を梳きますと…扉の外にいます。夜になって、旦那が家に帰ってきました。彼は言います。「お母さん、働いたのは誰?」「…お前とあたしだよ…」「いいでしょう」旦那は言います。「あなたと私は食事をしましょう。」
彼らは食事をしましたが、嫁は夕食なしで寝床に着きました。翌日も同様です。彼は着替え、家を出る前に言いました。「お母さん、覚えておいてくださいよ」

  幸福の家では
  働かざる者喰うべからず

「分かったよ。」―嫁はといいますと、いつもどおり顔を洗い髪を梳き、そして外へ、扉の下へ行きました。夜になって夫が戻ってきますと、彼は言います。「お母さん、働いたのは誰?」「お前とあたしだよ。」彼は言います。「あなたと私は食事をしましょう。」そうして彼らは食事をし、嫁は夕食なしで寝床に着きました。三日目も同様です。彼は着替え、家を出る前に言いました。「お母さん、覚えておいてくださいよ」

  幸福の家では
  働かざる者喰うべからず

「分かった、分かったよ。」そして嫁は起き出しますと髪を梳き、顔を洗い、それから甕の水を空けました。それで精一杯です。そして夜になり、夫が家へ帰ってきますと、彼は言いました。「お母さん、働いたのは誰?」―「お前とあたし、そしてお前の嫁は甕を空にしてくれたよ。」「いいでしょう」彼は言いました。「みんなお疲れさまでした。」そして彼は肉料理の出し汁のみを嫁に与え、寝床に着きました。翌朝も同じように夫は出かけ、そしてあの娘は着替えますと顔を洗って髪を梳き、それから甕を空けてベッドを直しました。夫が家に戻りますと、母親に誰が働いたのかと問い、母は答えます。「お前とあたし、そしてお前の嫁は甕を空にしてベッドを直してくれたよ。」彼は「みんなお疲れさまでした。」と言い、出しとインゲン豆だけを与え、寝床に着きました。その翌日、彼が出かけますと、嫁は甕を空けてベッドを直し、部屋の掃き掃除をしました。そこで(諸々省略)夫は出しとインゲン豆、そして一切れのポレンタを与え、寝床に着きました。さらにその翌朝、嫁は甕を空けてベッドを直し、部屋の掃き掃除をしますと、それから義母のところへ行って手伝いをしました。夜になって夫は母親に言います。「お母さん、働いたのは誰?」彼女は答えました。「お前とあたし、そしてお前の嫁は甕を空にしてベッドを直し、部屋を掃いてから私の仕事を手伝ってくれたよ。」

すると夫は二人と同じ食べ物を嫁に与え、それから彼女はずっと同じように働きました。このようにして彼女はいじめられたり撲たれたりすることなく働く習慣を身に付けたということです。


……海外では日本語の「お疲れさま」に相当する言葉がなかなか見つからないという話を聞くが、今回試みにそう訳したのは「Ogni fadiga merita premio.」という言葉である。直訳すると「それぞれの苦労が報いるに値する」となろうか。夫が嫁に向けて聞かせようとしている言葉であるから、説教じみた口調の硬めの訳の方が本来は文脈に合っているのだけれども、この夫のやり方が何となく気にくわないこともあって少し曲げてある。

この夫が妻に与えた食物について見てみると、最初のものは「'na cazza de brodo [cacciagione di brodo]」となっている。通常「○○のスープ」というのは「Brodo di ○○」となるところを順序が逆になっており、「肉」が中心になっているところからスープを取った後の出し殻という可能性も考えた。が、この夫であれば出し殻であろうと最初から肉を喰わせるはずはなく、これに続く「'na cazza de fasioi」との整合性からも汁のみと考えるのが妥当であろう。またbrodoは調味料の一つであり、料理名として使われることはまずない(そういうときはzuppaという)ので、些かイメージにそぐわないが仕方なく「出し汁」とした。

ではもう一つ。


VIGNA ERA E VIGNA SON

あるところに一人の王様がありまして、この王は自分が結婚していなかったものですから、同様に自分の執事が結婚するのを望んでおりませんでした。そんなある日のこと、この執事はとても美しい娘と出会いました。彼は彼女に恋してしまい、彼女と結婚します。その娘の名前はヴィーニャ[ぶどう畑の意]といいました。彼女を王に合わせたことがないので、その夫はいつも彼女を部屋の幕の後ろに閉じ込めておりました。それから結構な時が経ち、この執事が結婚していることが王の耳にも届きます。そこでそれが本当かどうか確かめるため、王は大急ぎで彼を呼び、ある別の王へ手紙を届けるように言いつけました。執事は出かけますが、急いでいたので妻のいる部屋の鍵をかけるのを忘れてしまいます。彼が出かけますと、王は真実を確かめに行きました。王が部屋に入りますと、彼はベッドで寝ているとても美しい女性を見つけます。胸が露わになっているのを見まして、彼女が起きたときに恥じることがないようにと、彼はそれを隠そうとします。が、夫が帰ってきたので王は急いで姿を消しました。彼はベッドの上に手袋を置き忘れ、夫がそれを見つけて拾います。彼は何も言いませんでした。が、それからは以前のように妻を愛することはありませんでした。彼女に裏切りがあったと信じてしまっていたのです。彼女はどうして夫が変わってしまったのか理由が分かりませんでしたので、可哀想なことにずっとびくびくしておりました。

そんなある日、もう一度あの美しい娘に会いたいと思いまして、王は宴を開き、みんな妻を連れてくるようにと命じました。彼は執事にも言います。「お前も妻を連れてくるのだぞ。」彼は、妻などいませんと答えますが、王は絶対に連れてこいと言います。結局この日、執事は彼女も連れてきました。

宴ではみんな彼女の話題で持ちきりでしたが、彼女は一言も話しませんでした。そこで王は彼女が話さない理由を尋ねます。彼女は言いました。

  今も昔もぶどう畑に変わりなけれど
  昔日の愛を受くることなし
  何故なのか皆目分からず
  ぶどうは季節を逃すばかり

夫はこれを聞いて言います。

  今も昔もぶどう畑に変わりなけれど
  昔日の愛を注ぐことなし
  かの獅子の爪にかかりて
  ぶどうは季節を失いたり

ようやく王は彼らが何を言わんとしているのかが分かりましたので、こう言いました。

  我ぶどう畑に立ち入ることなく
  その若枝に触れることなし
  頂にありし花冠を巡るも
  その実は未だ味わうことなし

こうして執事は妻が無実だということが分かりまして、その後二人はずっと幸せで満ち足りた、平和な暮らしを続けたということです。


……手短に済ませたので例によって最後の詩の訳が今ひとつだが、そこまで手をかけるほどの詩でもない。ともあれこれで一冊目の民話の本はすべて訳した。もう一冊の方もデータ化してあるので、この先も似たような流れで進めていくことになろう。