半身について

今回の話に「魔女」が出てくるのを見て、数ヶ月前のことだが、「小さな村の物語」という番組でブラーノが取り上げられていたときのことを思い出した。

話がいきなり逸れるが、この番組はかつて東芝が全面提供しており、番組冒頭では翻るトリコローレをバックにイタリア語で「としーば・ぷれぜんた!(動詞presentareの三人称単数現在形)」と高らかに唱えられていたのだった。ご存じのとおり会社がそれどころではなくなって以来、このナレーションはなくなってしまい、冒頭シーンがどこか間の抜けたものとなっている。CMの半分が別会社のものとなったのは別段構うところではないが、ただ不穏なことに、その会社の分のCMが一時期AC Japanのものに差し替わっていた時期があった。現在はまたその会社が戻ってきているが、長年の視聴者として些か気がかりな状況ではある。

それはともかく、私としてはブラーノはヴェネツィア首都圏の一部であり、ヴェネツィア本島にほど近いこの島を指して「小さな村」とするのは無理があるように思うのだけれども、番組としてはそれで押し通したようだ。これ以前にもサンテラズモが取り上げられていたし、何よりイタリアにおいて理屈というものは都合のいいように使うものである。

この回の登場人物の一人はブラーノで人気のトラットリア「Al Gatto Nero」の店主であり、店内の様子を見て「あのテーブルに座ったっけなぁ」などと思い返しつつ、「黒猫は魔女の使いであり、不吉なものだから一時店名を変えたことがあった」という話を聞いて、やっぱそうなんか、と思ったのを覚えている。別の登場人物に「この島で有名だった魔女の末裔」がいたこともあり、さらにはここまでヴェネツィアの民話を読み進めてきた感覚からいっても、この島で「Gatto Nero」というのと、パリのど真ん中で「Chat Noir」というのとはだいぶ感覚が違うだろうというのは想像がつく。共和国が国策として教会権力を遠ざけてきたという話と、イタリアの民衆の信心深さとについては、まったく別系統で考えなければならないものであるというのが最近分かってきた。


EL MEZO

あるときのこと、一人の女がありまして、その女は身重でありました。そして彼女の住む土地には名の知られた魔女がいたのですが、その魔女は自らの菜園に行って、こう言います。「どういうわけでこんなにパセリができちまったんだか。きっとこれを取ろうって奴が来るだろうねえ。」そして彼女は扉を開けっ放しにしていきました。

するとそこへあの身重の女が通りがかりました。彼女はそのパセリを見て欲しくなり、菜園の中へ入って食べ始めます。食べては食べ、彼女はあっという間に大半を食べ尽くしました。それから少しして、魔女が帰ってきました。彼女は菜園を見渡して言います。「やあ!……みんな食べてくれやがったな! 明日ここに居て誰が来るか見てやろう。」

翌日、果たしてあの女がまたやってきて、残りのパセリを食べてしまいました。そしてその女が外へ出ようとしたとき、魔女が現れていいます。「お前はそこで何をしたんだ?」哀れな女はいいます。「ああ、どうかお慈悲を、見逃してください。私はお腹に子どもがいるものですから。」魔女はいいました。「駄目だ! お前が産むのが男の子にせよ、女の子にせよ、七歳になったらその半分をお前に、もう半分をわしに貰うぞ。」女は分かったといいました。全身が恐怖でいっぱいだったからです。

出産のときが来て、彼女は男の子を産みました。その男の子は成長し、六歳になったある日、魔女の住んでいた辺りの道を通りがかります。魔女はその子を見て言いました。「ちょっと、お前の母さんに、あと一年だって言っておくんだよ。」男の子は言います。「うん、いっておくよ。」そうして彼は家に帰り、母親に言いました。「おかあさん、しらないおばあちゃんが、あといちねんだってぼくにいったよ。」母親は言います。「気にしないでいいのよ、もしその女がまたお前にそう言ったら、頭おかしいんじゃないのって言ってやんなさい。」

そしてこの男の子が七歳になるまであと三ヶ月というとき、魔女はまた言いました。「お前の母さんに、あと三ヶ月だって言っておくんだよ。」男の子は答えます。「ねえおばあちゃん、あたまおかしいんじゃないの!」老婆は言います。「よしよし…構わないさ…わしがおかしいかどうか見ているがいいよ!」男の子は家へ帰って母親に、魔女があと三ヶ月だと言い、彼はあたまおかしいんじゃないのと返事をしたことを話します。母親は「いい子ね、よくやったわ!」と言いました。

そして三ヶ月が過ぎたある日のことです。魔女はあの男の子を見つけ、捕まえて家へ連れ込みました。そうして彼女は男の子をテーブルの上に乗せ、包丁を手に取ると彼を縦半分に切ってしまいました。頭も半分、体も半分です。そして彼女は半分にしたうちの片方に言いました。「お前は家へ帰れ。」そしてもう半分には「お前はわしとここに居るんだよ。」

そうして半身はそこへ残り、もう半身は家へ帰りました。この半身は家へ帰るとすぐに母親のところへ行って言いました。「みてよおかあさん、ぼくはどうなったの?…あのひとはあたまおかしいっていってたよね!」母親は黙っているほかありませんでした。

この半身の男の子は大きくなったところで、何の仕事をしようかと考えました。そして漁師をやろうと思い、ある日ウナギ釣りに出かけたところで見たこともないほど大きなウナギを捕まえます。青年がそのウナギを釣り上げると、そのウナギは言いました。「私を放してくださいな、そして明日また私を獲りにいらっしゃい。」そこで彼はそのウナギを放してやりますと、彼女は水の中へ戻っていきました。その後で漁を続けますと、これまでにないほど沢山のウナギが釣れます。彼は舟を一杯にして家へ帰り、沢山のお金を手に入れました。

そして翌日、彼はまた漁に出かけてあの大きなウナギを捕まえました。彼女は言います。「私を放してくださいな。そうすればウナギへの慈悲により、貴方が望むことは何でも叶うことでしょう。」そこで彼はすぐに彼女を放してやりました。

それから数日後、彼はいつものとおりに漁に出かけました。彼は道を行きまして、ある立派なお屋敷の正面にさしかかります。そのお屋敷のバルコニーには侍女たちを連れた王の娘がおりました。娘はその青年――頭が半分、体も半分、そして足も片方だけです――を見て、大笑いし始めました。彼はそれを見上げて言います。「ああ、貴方は私がこんなだからお笑いになるのですね!…いいでしょう、ウナギへの慈悲により、バルコニーにいる王の娘はお腹がいっぱいになる。」

では半身の青年のことはおいて、何も知らずに身ごもった王の娘の方を見ていきましょう。

娘の両親は娘のお腹が大きくなってきたのを見て言いました。「それはどうしたことだ、お前は身ごもっているのではないか?」娘は何も知らないと答えます。彼らはまた言いました。「何だって?…何も知らない?そんなはずはない。」娘は「いいえ、本当です…まったく何も分かりません。」と言いました。父親は、誰の子かを言えばその男のことは許す、と言いましたが、彼女はやはり、何も知らない、何も分からない、と答えました。

実際のところ、可哀想なこの娘は自分に何が起こったのか知らなかったのですが、それでも彼女は両親から虐げられ、卑しめられてしまいました。

出産のときが来て、娘は可愛い男の子を産みました。彼女の両親は家の名誉が傷ついたことにひどく落胆し、彼女に何が起こったのかを明らかにするために、馴染みの魔術師を呼ぶように命じました。王は自分の娘に起きたことをすべて説明し、この子の父親が誰なのかを知るために何ができるだろうかと尋ねました。魔術師は言います。「何もありません!…その子が一歳になるまで待ちましょう、そうすれば話せるようになります。」

男の子が一歳になるとすぐに王はまたあの魔術師を呼びました。彼は言います。「では、この街のすべての貴族を集めて宴会を開く必要があります。そして皆が広間に集まったらその子に金の実と銀の実を持たせてその中を巡らせます。そうすれば彼は金の実をその父親に、銀の実をその祖父に与えるでしょう。」

そこで王は、とある日にこの街のすべての貴族を集めた宴会を開くというお触れを出し、それから広間に多くの肘掛け椅子を用意させ、貴族たちが広間に集まったところで、乳母の腕に抱かれたあの子を呼びにやりました。そしてその子の腕に例の二つの実を持たせて言います。「これを取り、この実をお前の父親に、こちらの実をお前の祖父に与えよ。」そうして乳母は貴族たちの間を巡っていきます。そして男の子は王に銀の実を渡しました。貴族たちは言います。「祖父が居たのだから、父親も居るはずだ。」しかしそこに居た貴族たちの間に父親は居ませんでした。

そこで王はまたあの魔術師を呼び出します。魔術師は言いました。「ではこの街のすべての平民を集めて宴会を開く必要があります。そうすれば間違いなく分かるでしょう。」王は同じように、とある日にこの街のすべての平民を集めた宴会を開くというお触れを出しました。

“半身”はこの街のすべての平民を集めた宴会が開かれると聞いて言いました。「私も行ってみたいな。」そして母親のところへ行って言います。「僕に半分のシャツと半分のズボン、片方の靴と半分の帽子を作ってくれないか。王のお屋敷に行きたいんだ。」母は言います。「王様のところに行くなんて何を考えてるの?…だって、貴方が王女様を身ごもらせたわけじゃないんでしょう!」彼は母の言うことを気にもかけず、服を着込んで身なりを整えると、家を出てお屋敷に向かいました。

王は広間に集まった平民たちの前へ出ると、男の子と乳母を呼びにやりました。そして男の子に金の実を渡して言います。「これを取り、この実をお前の父親に与えよ。」乳母が平民たちの間を巡りまして、そして男の子は“半身”を見るとすぐ、その首にすがりついて言いました。「この実を取って、お父さん。」するとみんなが笑い出して言います。「やあ、どこで王女がお前と恋に落ちたと言うんだ?」―「いいや」王は言いました。「この男が娘の伴侶となるのだ。」そうして“半身”と王の娘は結婚しました。

彼らが結婚するとすぐに王は大きな空っぽの樽を作らせ、その樽に三人――父、母、その息子――全員と必要な物すべてを載せ、そして海へと放り出しました。

海は大荒れで、樽は波の上へ下へと揺られます。“半身”は妻がひどく怖がっているのを見て、樽を岸へ寄せようかと尋ねると、彼女はそうしてくれと言いました。彼が「ウナギへの慈悲により」と唱えると樽は海岸に着きました。彼は樽を壊し、三人は外へ出ます。食事時になり、「ウナギへの慈悲により」三人分の飲み物や食べ物、食器などの整ったテーブルが現れました。十分に飲み食いした後、“半身”は妻に言いました。「満足しましたか?」彼女は答えます。「貴方が半身ではなくて全身になったら今以上に満足するのだけれど。」そこで彼は心の中で言いました「ウナギへの慈悲により、私は元に戻って以前よりもっと美しくなる。」その瞬間に彼はとても立派な貴族の格好をした美しい若者となりました。彼は妻に言います。「これで満足しましたか?」彼女は言います。「ええ、満足よ。でもこの海岸に立派なお屋敷があったらそれ以上に満足するのだけれど。」それに対しても彼は、きっとそうしましょう、言います。そして「ウナギへの慈悲により、王の邸宅に相応しいファサードを備えた美しい屋敷、そこには金の実と銀の実の生る二本の木、それに加え、屋敷の世話をする召使い、給仕、侍女が現れる。」瞬く間に王の邸宅に相応しいファサードを備えた屋敷とその他すべてのものが現れました。

数日後“半身”は――といってももう半身ではありませんが――その土地の王や貴族すべてを集めた宴会を開きました。数々の王や貴族に加え、彼の妻の父親も屋敷にやってきます。屋敷に来た王や貴族の前で、“半身”は言いました。「お願いですのでそこにある金の実と銀の実を取らないでください。それを取った者には災いがあります。」彼らは言いました。「何も仰らなくても、誰も取ったりしませんよ。」

彼らは宴会を楽しみ、十分に飲んで食べた後になって、“半身”は心の中で言いました。「ウナギへの慈悲により、金の実と銀の実が現れる――その一つは隣の――我が舅の巾着の中に。」

貴族たちが帰る前、“半身”はバルコニーに出て木の実が二つ、金の実が一つと銀の実が一つずつ無くなっているのを見つけました。みんなが言います。「私は取っていない、私ではない。」―「いいでしょう。」“半身”は言います。「皆さんに検査をしましょうか。」そうして彼はみんなを調べていきました。そして…ありません。木の実はどこにも見つかりません。

とうとう彼は最後に残った舅の検査をしました。すると巾着の中に木の実があったのです。“半身”は言いました。「見つけたぞ! 他の誰でもなかった、貴方が二つとも取ったのだ。こうなったら落とし前を付けていただかないと。」―「私は知らない、何が起こったのか分からない、私は取ってないんだ、神賭けて誓う!」そこで“半身”は言いました。「貴方が潔白であるように、貴方の娘も潔白であったのだ。まさに貴方が娘にしたとおりに私も貴方にやって差し上げよう。」

彼がこう言ったところへ妻が現れ、夫へ向かって言いました。「もういいのです。私のせいであって、父のしたことにも訳があったのです。父が私にひどいことをしたとしても、それでもこの人が私の父なのです。どうか許してやってください。」

“半身”はその熱情に動かされ、彼を許してやりました。そして娘の父である王は、死んだものだと思っていた娘に会い、彼女が潔白であったことを知って喜び、彼らみんなを自分の屋敷へ連れて帰りました。そして彼らはずっと平和と安寧のうちに暮らします。彼らはまだ誰も亡くなっておらず、今もそこに暮らしているということです。


……家に帰された主人公の半身は果たして左半身なのか右半身なのか。これ以外にもあらゆる問題を乗り越えてこの話に挿絵を付けられそうな画家に心当たりが無いではないが、絵心のない私としては何とも言えない。因みに途中から“半身”と引用符を付けたのは原文においてそこから固有名詞化しているためである。これは彼が終盤で“全身”になってしまうために必要となった措置であると考えられる。

さて、まずは冒頭、イタリアンパセリだけを満腹になるまで食べるという行為は現実的に想像しづらい。妊娠すると味覚が変わるという話を聞いたことも無いではないが、男としては何とも言えない。まあ、ここはわざわざツッコむところではなかろう。

男児が魔女へ母親の悪態を伝える場面について、この男児の台詞は「Cara ela」で始まっている。これは魔女に対する親しみを込めた呼びかけであり、この子が「matta」の意味を理解せずにただ母親の言葉をなぞって伝えている様子を表している。子どもが訳も分からずに大人の真似をして問題のある単語を連発し、周りの大人が肝を冷やされるという話を聞いたことも無いではないが、独身者としては何とも言えない。ただしイタリア語のmattoやpazzoという単語は日常会話集にもよく出てくる単語であり、日本語のアレとはかなりニュアンスが違うということは言い添えておこう。イタリアでは「狂気」は身近なものなのである。

それはそうと、盗難の可能性を想定しておきながら菜園の扉を開けっ放しにしておくという魔女の行いが最初は腑に落ちなかった。このときの台詞を「だからってわざわざこんなものを欲しがる奴なんていないだろうねえ」という流れで訳せばその場では辻褄が合うかと思ったが、それではどうしても文法的に辻褄が合わない。この魔女は最初からパセリをエサにして陥れる相手を釣ろうとしていた、と考えたら筋が通ったのでそのように訳しておいた。

そういえば以前訳した「EL VENTO」(風に喰われる人について - 水都空談)にも半分だけ服を着せられる男があったが、この半身というモチーフにはどういう意味があるのか。イタリア語のmezzoにも半人前という意味はあるにはあるが、どうもここへきて、ハーフ・混血・半神半人、つまり今いる世界と別の世界との境界線上に立つ者、のイメージが見えてきたように思う。だからこそこの半身の男児は後にウナギの加護を得ることができたのかと。

因みにこのウナギ(bisatoではなくanguilaだった)の口調を女性ふうにしてあるのは、ウナギが女性名詞であり、ずっと「la」という代名詞で受けられていたからである。半身の青年が「piena(お腹がいっぱいに)」と頼んだ(比喩として分からんではないが、pienaに「妊娠」を指す用例は見当たらない。これはこれで未だに青年の意図が読めない)のを「妊娠」と取り違えるようなうっかりさんの雰囲気は出ているが、深い意味はないので考える必要はない。また、この半身の青年はウナギから神通力を授かった時点ですぐさま身体を復元することができたのではないか、という可能性も考える必要はない。

もう一つ、中盤に出てくる金の実がpomo d'oro、つまりトマトを指す言葉であることに気付いた方もおられようが、他方、銀の実に対応する果実は存在しない。そこで金の実をトマトと訳してしまうと文中で上手く対応しないので、そのまま「金の実」とした。ついでに、これまで「邸宅、宮廷、ビル、建物」を意味するpalazzoという語をイタリアの雰囲気を出すために「パラッツォ」と記していたが、バランスが悪くなってきたので今回から文脈に合わせて訳している。

そして、半身の青年が王の娘に初めて会ってバルコニーを見上げる場面についても記しておきたいことがある。その部分の原文は
Elo issa suzo i oci
Lui issa su i occhi
となっているのだが、何が問題かというと、彼は半身のはずなのに「眼」を意味する「ochio」が複数形なのであった。いかにもイタリア人らしい手落ちであるが、それだけの話である。

閑話休題。それにしても気になるのは、魔女の家に残された方の半身のその後である。こちらの半身も恙なく人生を全うしたのだろうか。

これまでヴェネツィアの民話を読んできてずっと引っかかっているのが、こういった回収されない枝葉の話があまりにも多いところである。例えばこの話の場合、現代的な物語の作法では、最終的に魔女と対峙してパセリ盗難の償いをするなり、逆ギレしてやっつけるなりした結果として元に戻る必要があると思うのだ。

しかし一方で、何となく分かるような気もするのである。半身を取られたところで魔女との取引は相手の条件どおりに終了、そして「江戸の敵を―」ではないが、「コンスタンティノープルでの損失はアレクサンドリアで埋める」とばかり、とっ散らかしたままで常に前だけを向いて進んでいくというのはいかにもヴェネツィアのイメージに適う考え方ではないだろうか。今のは私が適当に作ったが、きっとこんな慣用句がヴェネツィアにもあるはずで、時間ができたら辞書の慣用表現のところを端から読んでみようと思う。