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阿房蒸気について

言わずと知れたことだが、ヴェネツィアは水の都であって街中に運河が張り巡らされている。辞書を繰ると、運河というのは「人工的に陸地を掘って作られた船舶用の水路」と書いてあるのだが、しかしこの街では陸地の方を人工的に作ったのであって、運河となっている部分は元から海の一部である。

粘土をくっつけて作っても、粘土の塊から削り出して作っても、どちらも粘土像と言ってしまってよいのだから、どちらから形成されたかという問題はひとまず措こう。「陸地を掘って作られた」という部分を削り、運河とは「人工的に作られた船舶用の水路」である、と定義すれば解決するし、実際そうしている辞書もある。

それでもまだ分からないことがある。海はいったいどこから運河になるのだろう。例えば、湖を埋め立てていって細長くしたものは川と呼んでよいのだろうか。よいものと仮定した場合、どこまで狭くすればそれは川になるのだろう。

人の認識というのは考えてみると難しいものである。さて、ヴェネツィアの運河は本当に運河と呼称してもよいものだろうか。

 

馬鹿の考え休むに似たり。暑さのせいで頭がおかしくなったのか知らん。なんだか記録的な暑さだというし。

 

先日聞いたところによると、イタリアの暑さのピークは今頃で、例年通りであれば八月に入るともう落ち着いてくるということである。もっともここ数年、世界のどこへ行っても「例年通り」に期待したところで裏切られることが多いのであるが。

それはそうと、この街の運河にはその定義のとおりに数多くの船舶が往来している。その運河にはまた多くの橋が架けられていて、歩くだけで大概の場所に行けるようになってはいるものの、目的地によっては遠回りを強いられることも多く、当然船に乗った方が便利である。

中には個人で船を所有している人もある。夜に運河沿いで飲んでいるときなど、目の前をステレオの重低音を響かせながら流していく船があったりするのが面白い。イルミネーションで飾り立てていたり、若い女性が何人か同乗していたりして、何となく週末の夜の梅田駅前を思い出させるものがある。ただし、船の灯火に関してはおそらく法によって決められている部分があり、装飾のイルミネーションはそんなに派手なものではない。夜は皆速度も控えめで、おとなしいものである。

それでもやはり大半の船は公共のものか仕事に関するものである。リアルト市場に魚を運んでくるのも当然そういう輸送船で、よく観察するときちんと冷蔵コンテナ付きの船であった。イタリアの魚の流通管理について侮っていたことを詫び、以前書いた文章の内容は訂正しなければならない。また、ゴミを集積して島外へ運ぶのにもクレーンの装備された専用船があるし、パトカーや救急車も「車」ではなく船である。イタリア語で船はnave(小さいものはbarca)だからパトナーヴェと書くか。実際はbarca della poliziaかと思われるが。

さてそんな中、庶民たる私に直接関係のある船はというと、ヴァポレットという水上バスくらいのものである。以前家主と食事をした日に初めて乗せられたが、一回€7.50かかった。日本円に直すと千円前後か。しかしこれだけの金を払って乗るのは本来稀なことである。

観光客であれば一日€20で乗り放題とか三日間でいくらとかいう乗船券を買うのであるが、長期滞在者にはこれでは逆に不便である。マ氏に促され、その翌日カルタ・ヴェネツィアというカードを購入してきた。ヴェネツィア市民以外は発行手数料その他が€50、そしてまた幾許かのチャージ分を払うことになるので最初こそまとまった出費となるが、これで一回€1.50で乗ることができる(10回分をまとめて買うと€14.00になってさらに€1.00お得になる)ようになる。差額が€6.00ということで、五往復目辺りから元が取れ始めるという計算である。

その存在については当初から聞かされていたのであるが、長期滞在者であることを証明するのに何か必要なのではないか(正式な滞在許可証はまだ発行されていない)等、購入の条件がはっきりしなかったので様子を見ていたのであった。マ氏に聞いたらパスポートだけでよいということなので、早速買い求めてきたというわけである。

ヴェネツィア本島内はほぼ踏破し、細かい地理も相当なくらいまで把握できている。使い始めてみれば、ヴァポレットをどう使えば効率的に移動できるかということが直感的に分かるようになっていたので、購入のタイミングとしてはちょうどよかったのかもしれない。リアルトの窓口で顔写真入りの赤いカードを受けとってみると、ヴェネツィアの住民として一人前になったような気もしてくる。

さて、これでいつでも気軽に乗れるようになったわけだが、すっかり歩くことに慣れてしまっているので、いざ使えと言われても最初はなかなか用途が思いつかなかった。それでもまず乗ってみないことには始まらない。

「用事がなければどこへも行つてはいけないと云ふわけはない。なんにも用事がないけれど、ヴアポレツトに乗つてリドまで行つて来ようと思ふ。」

というわけですぐさまリアルトの乗船場でヴァポレットに乗り込み、終点まで行ってみた。vaporeというのは蒸気あるいは蒸気船を意味し、vaporettoとはその小さいものを指す言葉であるが、無論現代のヴァポレットは蒸気で走ったりはしない。足を動かすことなく移動するのは久しぶりで楽なのはよいが、乗客の多い路線ということもあって昼間はまだちょっと暑苦しい。それでもカナル・グランデを抜ければそこそこ快適になってきた。

スキアヴォーニ辺りなら道が広いとはいえ、ひっきりなしに行き来する人々に気をつけなければならないので、歩いているときには辺りを見回している余裕はない。船に乗っているとその点でも楽で、ぼうっとパラッツォ・ドゥカーレを眺めていると、来たばかりの頃の観光客気分が甦ってきた。

各駅停船であるし、スピードはそんなに速くないので、リアルトからリドに着くまで45分ほどかかる。海の上には渋滞がないので、ほぼ完璧に定時運行されるというところに何故か違和感を抱いた。私もだいぶイタリアに慣れたようだ。

リドへ近づくと、車が走っているのが見えてきた。別にイタリアで車を見るのが初めてというわけではないが、やはり新鮮である。船を降り、どうしようかと一瞬迷ったが、船着き場の正面の大通りを抜け、とりあえずアドリア海が見えるところまで行くこととした。

目抜き通りを歩いていると貸し自転車の店がいくつか目につく。歩き回った後につくづく後悔したが、これは借りておいた方がよかった。本島とは距離の感覚が違うのである。ただまっすぐな道で、いい加減飽きてきたかという頃になってようやく海沿いへ到達する。

アドリア海沿いはほぼ全域が海水浴場になっているようである。水着姿の人がうろうろしていて、シャツと革靴という身形の私は場違いなこと夥しい。海岸へ入ることは諦めて道路からアドリア海を望むが、やはり海の色がまったく違っていた。

左へ曲がって北側へ進み、反時計回りにリドを半周していく。南へ進んでいればエクセルシオールが見られたようだが、何にせよ私に用事のあるところではない。そしてまた北側というのはあまり観光客が行くような場所ではないようで、だんだんと住宅街のような気配になってきた。

本島とは違い、広い道路があって大きな庭があってと、どこかで見たような高級住宅街のような印象もあるのだが、やはりここでも空き家が多く目についた。雑草が繁茂して石畳にひびの入った庭と、ことごとく割られた窓ガラスとの組み合わせには寂寥感ばかりが漂う。私自身はこういう雰囲気は嫌いではないというか、むしろそういう場所が好きなのであるけれども、それはそれとしてあっちもこっちも夢の跡となっているのは残念なことであるな、と思いながら歩を進める。すると、びっしり丸ごと蔦のようなものに覆われた家というのがあって、これはさすがにファンタスティカと評すべきところまで突き抜けていた。

一時間以上歩き回って、すれ違った人は十人程度だったか。船着き場周辺以外で走っている車も五台くらいしか見なかったが、そのうちの一台は救急車であった。驚いたのはそのスピードである。本島の方で夜の街をふらふらしていたとき、救急船が猛スピードで運河を駆け抜けていったのも見たことがあるが、イタリアの緊急車両とはきっとそういうものなのだ。これはこれでイタリアのイメージに合致する。ランボルギーニのパトカーが必要になるのも納得できるというものである。

元気のよいのはこの救急車だけであったが、おそらくまだ時間が早かったのだろう。イタリア人は日の高い時間帯(それでも夕方五時前後だった)にはあまり外を出歩かない。まだ半分しか歩いていないし、日と時間帯を改めてまた行ってみようかと思う。