ベルギーについて

ブリュッセルはただひたすら寒かった。到着したのは昼過ぎだったので最初はそう違いは感じなかったものの、なにしろ朝がきつい。サンカントネール公園の近くに宿を取ったので朝早く公園に散歩に出てみたが、もう完全に冬の空気だった。コートを用意しておいて正解である。それでも軽く体調を崩したが。

空港からホテルに向かうバスの中でアナウンスを聞いていると、途中に「なーとー」という停留所があって思わず降りそうになったが、ブリュッセルにはNATOの本部もあるのだった。ここはEUの中心地であり、それゆえ私が日本で所属する大学のEUオフィスもこの街に置かれている。今回私に課せられた用務は、そこで開かれるワークショップに参加して発表を行うというものであった。

ワークショップは朝早くから行われるので前日にブリュッセルに入ったのだが、夕食をどうしようかと考えながら街を歩いてみたところ、どうも適当な店が見当たらない。中華料理やsushiの店は論外。小綺麗な店があったので表に出ているメニューを見てみると、その店はスパゲッティが中心で、なかにはnero di seppie(イカスミ)などと書いてある。何でヴェネツィアからやってきてわざわざここでイタリア料理、しかもヴェネツィア料理そのものを食わなけりゃならんのかと消沈。結局スーパーを見つけてそこで出来合いのものを買って済ませた。いかにも出張中のサラリーマンといった風情である。

ちなみにこの国はフランス語とオランダ語(の方言)が公用語なので、スーパーはフランス系のカルフールである。店員の応対はヴェネツィアよりも丁寧だった。ただ、バスの運転は明らかにベルギーの方が荒い。イタリアのバスだって日本に比べればかなり攻める方で、ランナバウトなどではいつもふりまわされているのだが、何というか、イタリア人は丁寧になめらかに飛ばすのでまだ動きが読める。ところがベルギーのバスはとにかく発進と停止がきつく、不快極まりない。二連バスの重量で急発進と急停止を繰りかえしていればすぐに駆動系が駄目になると思うのだが、ベンツのバスはトランスミッションが頑丈にできているのだろうか。

翌朝、ホテルの近くに欧州委員会の本部であるベルレモンというビルがあるというのでとりあえず行ってみる。周辺の地区はどこもかしこも忙しく工事が行われ、どこにでもありそうなオフィス街という趣の巨大な建物が林立しているが、その中でも一際目を引く奇妙な形をしたビルがベルレモンである。しかしわざわざ見に行くほどのものではなかった。

自由になる時間はほとんどないので、とっととオフィスに向かう。この街には鉄道やバスやトラムが張り巡らされているようだが、路線を調べてみたところ、歩いて30分の距離が20分に短縮できるといわれてもあまり効率がよいとは思えない。ヴェネツィア在住の人間としては徒歩で移動する方が気楽なので歩いて行く。

土曜日の朝だったが、中学生くらいの子供の集団をよく見かけた。揃いでラクロスの道具を持ったグループもあったし、部活動のようなものがこちらにもあるのだろうか。フランス語を話すグループの方が多いようだったが、見ていると人種の混ざり方がヴェネツィアよりも多様である。ヴェネツィアというのはイタリアの中でもかなり特殊な街なので、比較しても意味はないのだが。

ほとんどオフィスに缶詰状態だったので観光などできはしないし、大学の金で出張しておいてのんびり観光などしていたらそれはそれで問題なのだが、ワークショップの始まった二日目の夜、食事の前後にグラン・プラスに立ち寄った。しかし発表の準備に忙殺されていてベルギーについて下調べなどをしている余裕はなかったので、グラン・プラスについても予備知識がない。細部の建築様式についてもいくらか観察できるようにはなっているものの、その場でゴシックだと言えるほどには目が肥えていないし、また修復直後だったそうでえらく金ぴかな建物も目に付いたが、謂れが分からなければ世界遺産だと言われても感心の仕様がない。後で調べてコクトーが絶賛していたと知ったが、そんな話もあったかな、という程度である。

さて、食事が終わった後、ホテルに帰ろうとそのグラン・プラスで一人別れて歩き出すが、その後完全に道に迷った。一応おおまかな方向だけは教えてもらって出発したのだが、すぐに怪しいと分かる。日本から来た先生方がまとまって宿泊しているホテルで地図を貰っていたものの、これは表示範囲が狭くて大して役に立たず、また自分の宿泊しているホテル周辺なら事前に頭に入れているといったところで、その範囲にも到達できない。

とりあえず見たことのあるものにたどり着くまで歩くほかなかろうと思って進むと、大きな道路沿いにある巨大な観覧車の足元に着いた。これは見たことのないものである。今調べ直してみても一体どこまで行ったのかさっぱり分からない。どうにもならんなと思って、ちょっと飲みに行っていたという風情の地元民らしき三人組のおっさんに道を尋ねる。そのうちの一人が英語を話してくれたので、サンカントネール公園の傍のホテルまで帰りたいのだが、と説明すると、この時間ではもうトラムも動いていないから、と言ってタクシーをつかまえてくれた。それにしても無駄なところで冒険をしたものである。ただ、乗ったタクシーがシュコダ(運転手に確認したところ、ブリュッセルでの発音はスコダだったが)のオクタヴィアだったのはちょっとした拾い物だった。

帰りが遅くなった御陰でこの夜は風呂を沸かすのを諦めざるを得ず、シャワーだけで済ませることとなった。リアルトのアパルタメントにはシャワーしか付いておらず、せっかく半年ぶりに出会ったバスタブだというのに、一回しか利用できなかったのは無念だとしか言いようがない。

三日目に用事が終わってからは他の先生方にくっついてWITTAMERという有名らしいチョコレートのお店に行く。席がなかなか空かず、他の先生方はお土産を買いに店舗内に入っていったので、表の席で国語学の先生と二人、ホットチョコレートを頼んで席を確保しながら待つ。この国には二つの公用語があると先に書いたが、駅名や道路標識などはかならずその両方を使って二重に表記されている。この店でテーブルクロス代わりに敷いてくれる紙にも二通りに何やら書いてあったのだが、不思議なのはその隣に「ごゆっくりどうぞ(原文ママ)」と書いてあることであった。日本人はベルギーといえばチョコレートしか思い浮かばないのであろうか。さて、この表記が中国語に置き換えられるのはあと何年か、などという話をしながらチョコレートを味わう。

その後は夜の飛行機でヴェネツィアに戻る。他の先生方はもう一泊される方が多いようだったが、飛行機で一時間半ちょっとの距離でわざわざもう一泊する理由もない。移動のための航空機代は別途支給されるものの、滞在費用はヴェネツィアへの派遣費用の中から賄うことになっているので宿代は自腹なのである。

空港から出ると、ぽつぽつと雨が降り始めた。湿度が上がって、ベルギー帰りの身には空気がまとわりつくようである。この街でコートを着るのはしばらく先になりそうだ。暗闇のなかを進むアリラグーナの船内には数組の観光客が見られたが、時計は23時を回っており、カップルの旅行客も言葉少なである。夜だからか心なしかスピードは控えめだったが、窓に当たる雨音は少しずつ強くなっていくようだった。この時期にこうやって低気圧が来ると、ヴェネツィアでは厄介事が一つ増える。この翌日から始まってまずは三日ほど面倒な思いをしたのだが、詳しいことはまた改めて。