料理学校について

先日、近くにある農協の直売所で野菜を物色していたときのこと、エンダイブという見慣れない野菜が目に留まる。ポップには「炒め物にするかそのままサラダに」と書いてあったが、これがどういうわけか気になって仕方がない。何に使うかも決まらないままにとりあえず購入して帰った。

洗いながら細部を観察していると、茎の形状と感触がヴェネツィアにいた頃の記憶を刺戟するようである。調べてみると、このエンダイブ(和名:キクヂシャ)はチコリーの近縁種だとあった。チコリーはイタリア語ではradicchioラディッキオといい、つまりエンダイブはヴェネト州特産のradicchio trevisoラディッキオ・トレヴィーゾの遠縁に当たるということになる。

こんな細々とした縁にまで引っかかるほどおまえはヴェネツィアが恋しいのか、と呆れたが、懐かしいものは仕方なかろう。そういえば今くらいの時期でもradicchio tardivo(タルディーヴォは晩生の意)が市場に出ていたな、と思い返すともういけない。あの頃と同じようにこれでリゾットを作ることにする。

ラディッキオ・トレヴィーゾは赤い色をしており、プロシュットを炒めたものを合わせると赤い食材同士の競演で目にも鮮やかなリゾットが出来上がるのであるが、エンダイブは当然の如く青い。この違いを無視して同じようにプロシュットを使うのも芸がない、何かより白っぽい肉の方が合うのではないかと考えた末、ツナ缶があったのを思い出した。

料理をする際まで中身より見た目のことを先に考えるこの性向はどうかと思う。ともあれ、味の方も一応及第点であった。元のレシピの素材が受け持っていた役割を分析して的確に置き換えていけば、素人のアレンジもそう失敗することはない。

さて、帰国してからちょうど一年ほど経つ。その間、「イタリアで何をしていたのか」と問われる度に「ヴェネツィア料理の研究をしていた」と答えていたのはもちろん冗談のつもりだったのだが、最近はどうも洒落にならなくなっているようである。文学研究の方は足を洗った、というかそもそも片足しか入ってなかったみたいなのでもういいとして、ヴェネツィア史の勉強として家主の本も読み進めたいところなのではあるが、ここのところは故あってずっとイタリアの料理学校のサイトばかりを眺めている始末。

しかしイタリア語を訳すというのは私にはまだまだ難しい。英語ならば反射的に文が出てくるのに、その経験が役に立たないというか、文章の構造からしてまったく違うクセがあるように感じる。それに、
la sua continua propensione ad approfondire, indagare e imparare, alla scoperta......
とあるうちの「approfondire(探究する)」「indagare(調査する)」「imparare(習う)」のように、似たような意味の言葉をやたらと重ねて使うのも困りものだ。とにかく三つ重ねるのが修辞学の基本だとは小プリニウスも言っていたような気がするが、装飾過多なイタリア語はそのまま日本語にするとどうしてもクドい。これを上手に均すのは大変な仕事である。

参考にしようと思って表示を英語に切り替えられないかとサイト内をあちこち探したところ、そのようなものは見当たらなかった。イタリア人男性と同じく、ヴィジュアル的には凝りに凝ったサイトだというのに、言語に関しては強気のイタリア語一択である。今のところこの翻訳は正式な要請ではないはずなので彼らがどれほど本気なのかは分からないが、国際共通語たる英語を無視してイタリア語の次に日本語のサイトを用意しようというのは一体どういう了見かと首を傾げた。暫し考えた末、「イギリス人やアメリカ人などに食い物の味が分かろうはずがない」というのがイタリア人の認識なのではないか、との結論に至る。

冗談はともかく、これはきっと日本に縁のあるヴィチェンティーノが居たから思いついただけのことであって、いつもの行き当たりばったりではないかと思う。上手くいけばそれでよし。上手くいかなかったらスプリッツでも飲もう。

目下、メインの部分の下訳はひとまず終わり、講師陣のプロフィールを訳しているところであるが、この仕事がまた非常にストレスフルである。文章が難しいとかそういうことではない。彼らが修行時代を送った、あるいは現在経営している店というのがいずれも錚々たるものであって、片っ端から行ってみたくて仕方がないのである。

とりあえずこちらをご覧いただきたい。
https://www.alajmo.it/it/sezione/la-montecchia/la-montecchia
https://www.alajmo.it/it/sezione/le-calandre/le-calandre
http://www.ristorantecracco.it/
http://www.degpatisserie.it/
http://latanagourmet.incellulare.it/
http://www.aimoenadia.com/
http://www.aquacrua.it/
http://www.ristorantetrequarti.com/
http://www.lapeca.it/lapeca/
http://www.sandomenico.it/
http://www.anticobrolo.it/newsite/ristorante-anticobrolo-padova.html
http://lalocandadipiero.it/
http://www.foodboutiqueverona.com/
料理学校がヴィチェンツァにあるためか、その講師たちのリストランテやパスティッチェリアの多くはヴェネトからロンバルディアにかけての地域にある。パドヴァのカッフェ・ペドロッキの近くに名高い店がある
http://www.caffecavour.com/
のを知ったときなど、滞在中の不勉強をいくら後悔しても足りなかった。何度も前を通っておきながらいかにもお洒落で高そうな店なので素通りしていたが、こんなことになるなら無理をしてでも入っておくべきだった。

寂しいことに州都たるヴェネツィアで出てくる名前はエクセルシオールくらいのものであって、都会ではなく、いい素材を手に入れるためだということで自然豊かな地方の山間部に宿泊施設込みで立地しているリストランテが多い。いわゆるオーベルジュというやつかと思ったのだが、しかしそう名乗っているところは少ないようである。イタリア語でlocandaという言い方をしているところもあり、これは辞書を引くと「安ホテル,安宿;小さなレストラン兼ホテル」とあるものの、ウェブサイトを見る限りどうやったって安そうには見えない。ともあれ規模が変わると呼び名も変わるのか、それともフランス起源の文化への対抗心なのか。

そうはいってもミシュランの格付けに関しては素直に受け入れているというか、むしろ星が付いていることを純粋に誇っているし、Chef de cuisineだとかCommisだとかいう、いわゆるブリゲードのシステムについてはそのままフランス語を使っている。また特に必要だとは思えないところで英語を使っているのが散見されるのも不思議である。日本人に言わせれば、いい加減見慣れてしまった英語よりもイタリア語のままにしておいてもらった方がエグゾティシズムをかき立てられると思うのだけれど、イタリア人はイタリア人でやはり外来語を使った方がかっこいいと思うようである。

翻訳というのは結局その文章の背後にある文化を知らないとどうにもならないわけで、ブリゲードのような厨房の階級制度や「全イタリア調理師連盟」なるものの存在など、こんな機会が無ければ知ることはなかっただろう。こうやってまた中途半端な知識が増えていくわけだが、さて、私はこんなことをしていていいのだろうか。とりあえず楽しいからいいか。