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トリコローレについて

気がついたら帰国から三週間ほど経過していた。一年ぶりの車の運転、街での歩き方(ヴェネツィアは右側通行が基本だが、関西はどうやら左側通行のようだ)、異常に柔らかいパンなど、最初はあれこれ戸惑ったが、仕事が無いこと以外はもう何もかも元通りで、ヴェネツィアでの生活がすべて夢であったかのような気がするほどである。となればこのブログを続ける理由も無いのだが、まだ書いていないことや持って帰ってきた本などをネタにして、もうちょっと続けてみようかと思う。これまでより更新頻度は落ちるだろうが、もとより読者の少ないブログなので問題ないだろう。

ここで一つ問題なのは、イタリア語の電子辞書をとある学生に譲ってしまったということだ。何故そんな大尽ぶった真似をしたかというと、この学生が昨年末に電子辞書を無くしたという話を聞いたからである。この学生は大学の掲示板に「電子辞書を無くしてしまったので見つけたら連絡を」という趣旨の張り紙をしていた。事を荒立てようとしない日本人らしい対応である。これを見た時点で盗難被害と推測できたが、後に確かめたところ、大学で勉強中、ちょっと席を外した隙に無くなっていたとのことであった。

ヴェネツィアにいたとき、大学の日本語の授業を見学させてもらったことがあったのだが、そこでは結構な数の学生が日本の電子辞書を使っていた。今はスマホさえあれば大概のことは調べられるのだけれども、併用してみれば信頼性もスピードも電子辞書の方が上である。私も向こうにいた間は月に一回電池を交換しなければならないほどの勢いで使い倒していたし、日本人がイタリア語を学ぶにしても、イタリア人が日本語を学ぶにしても、これほど頼もしいものはないだろう。しかし、ただでさえ結構なお値段がするものなのに、イタリアで買おうとすれば当然日本で買うより高くなる。欲しいと思ったところで誰もが手に入れられるものではない。

そのような環境下にありながら日本と同じようなつもりで気を抜いていたその学生にも落ち度があると言えば言えるのだが、それもちょっと酷だと思う。何度も書いているとおりヴェネツィアというのは本当に治安のよいところなので、下手をすると日本にいるときより警戒心が緩んでしまうものなのだ。一般的に外国は日本より治安が悪いから気をつけろというけれども、日本の大学の図書館や自習室にだって置き引き注意の張り紙がある。張り紙があるということは被害があったということだ。程度の違いはあるのかも知れないが、何処でだって起こる話である。

私のような研究員、また教員の方々は日本の暦に従ってみんな3月のうちに帰ってきたが、留学生というのはイタリアの暦に従って6月まで滞在する。残り3ヶ月とはいえ、勉強も大詰めを迎える時期には電子辞書があった方が何かと便利だろう、と考えて若者の未来に託したわけだ。というわけで帰国してからはもともと持っていた紙の辞書を使っているのだが、読むスピードが遅くなるのは如何ともし難い。

読むだけならこの伊和辞典でなんとかなるが、今でもヴェネツィアで世話になった人にメールを書くことがあるので、和伊辞典の方を持っていないというのも不便なことである。ちなみにこの小学館の伊和辞典の表紙は緑色、和伊辞典の方は赤色となっている。これまで何とも思わなかったが、これはイタリア国旗に対応しているのではないかと今気付いた。

例によって話が飛ぶ。帰国直前の混乱の中、最後にアパルタメントの光熱費の清算というものがあった。各種のメーターの数字から実際に使った額を計算し、月々固定で払っていた額と最初の預け金の合計から引いたところ、€200超が現金で戻ってくることとなった。ここで€200紙幣というものを初めて見たが、最後になってユーロの高額紙幣を渡されても使い道に困る。結局帰国後に金券ショップで両替をしたのだけれども、昨年渡航した頃と比べて10%前後円高になっているので、このタイミングで€→¥の両替というのは何ともいえない気分であった。

それはそれとしてこの清算のやりとりの最後、例のイタリア国旗を模したエプロンをマ氏に進呈したところ、後日家主の方から御礼のメールが来た。そこでイタリア国旗とヴェネツィアに関するちょっとした逸話が紹介されていたのである。

イタリアが近代国家として統一する過程、いわゆるリソルジメント運動は1820年頃に始まるそうだが、その最後の一幕は1861年のイタリア王国成立に始まる。オーストリア治下にあったヴェネツィアが奪回されたのは1866年のこと、そしてその後の1870年のローマ併合、翌1871年の遷都へと到る。

この時期のスローガンとして最も有名なのはおそらく‘‘Viva Verdi’’という言葉である。Verdiというのは表向きには当時活躍した作曲家のヴェルディを指しているが、これはVittorio Emanuele II Re d'Italia(イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレII世)の略となっている。オーストリアの占領下にあった地域では表立ってイタリア王国を支持することが憚られたので、このような符丁を使ったということらしい。

これと似たようなもので、ヴェネツィアには‘‘Risi e bisi e fragole’’という言葉があったという。Risi e bisiというのは昨年ヴェネツィア料理の会をやったときの記事でも紹介した料理で、risiは米、またbisiというのはヴェネト語でエンドウ豆(標準イタリア語ではpiselli)のことである。そしてfragoleというのはイチゴ、これで白・緑・赤のトリコローレとなる。ヴェネツィアの愛国者たちはエンドウ豆のリゾット(厳密にはリゾットではないが)とイチゴを食すことによってオーストリアへの抵抗の意思を確かめ合ったとのことであった。

ちなみに英語と同じで、三つの名詞を並べる際、普通はrisi, bisi e fragole(家主はこう書いていた)となる。それがこの場合risi e bisi e fragoleとなるのは、
(risi e bisi) e fragole
だからである。risi e bisiという料理はドージェにも供されていたというからリソルジメント運動以前から存在しているもので、ここへイチゴがどういう形で付け加えられるようになったのかは現物を見たことがないので知らない。この料理はタマネギとエンドウ豆を大量に使うので思い切って塩を入れても十分に甘く、ここへイチゴを加えるにはどうしたらいいのかまったく想像が付かない。そんなもん別添のデザートに決まっているだろうと仰るかも知れないが、プリーモにドルチェが付くのも妙ではないか。まあ、これはどちらかというと庶民の料理なので、その可能性が無いとも言えない。つまりコースの中で出てくるのではなく、これ一皿で済ませるという食事の仕方もあると言えばある。

このrisi e bisi e fragoleについての逸話は以前から知っていたのだが、最初にこの話を読んだときには妙にこじつけくさいと感じ、後から適当に作った話なのだと思っていた。ところが後にカ・フォスカリの先生に確かめてみたところ、これは大真面目な話だというので大いに面食らったことがある。ここまでの話で、イタリア国旗のトリコローレを模した代表的な料理としてPizza Margherita(バジリコの緑、モッツァレッラの白、トマトの赤)を思い出した方もあるのではないかと思うが、このようにしてリソルジメント運動への連帯の意思を示した例はいくつもあったのだそうな。先日無くなった彼のウンベルト・エーコの弟子たちがこういった例を集めて記号論的に研究した本もあるらしい。この本は買って帰ってくるつもりだったのだが、残念ながら帰国前のドタバタの中で失念してしまった。それにしてもイタリア人と料理の関係というのは面白い。こうも抜き難いほどにアイデンティティに食い込んだ料理というのは日本にもあるのだろうか。

そういえば2月の半ばにはすでにリアルトのメルカートにもイチゴが出ていて、ブドウを入れるような深いパックに山盛りで€2.50だった。日本へ帰ってきてから野菜や果物があまりに高いのに驚いたが、このイチゴもまた日本の半額から三分の一くらいだろう。というわけで今はちょうどrisi e bisi e fragoleの季節である。滞在中は季節を問わず、冷凍のエンドウ豆を使って何度もrisi e bisiを作ったものだが、この時期のヴェネツィアで新鮮なものを使って作ればまた格別であろう。何故私は日本に戻ってきてしまったのだろうか。