職人の生き様について

冬が近づき、すっかり日が暮れるのも早くなった。ora legale(直訳すると法定時刻、夏時間のこと)が終わったので時計が一時間遅くなり、例えばそれまで夕方6時が日没だったとして、それが翌日の同じ頃合になると時計は5時を指している、ということになるので、そこには人為的な原因もある。

パソコンやスマホは勝手に切り替えてくれるので、寝ている間に勝手に時刻が変わる。そしてそのまま体内時計に合わせて起きると、あれ、なぜ今日はこんなに早く目が覚めたのか、ということになる。しかし自分で買ってきて部屋に置いている安物の時計にそんな器用な切り替えはできない。

朝起きてからしばらくスマホの時計で動いていて、ふと部屋の時計をみたらその時刻だけ1時間進んだままだったりするのである。これにはちょっと肝を冷やした。切り替わるのは10月最後の日曜日と決まっているから実害は少なくて済むのだが。

また、ただでさえ低い太陽の高度がこの季節にはさらに低くなるので、昼間はやたらと眩しい。日本ではサングラスというと夏のものというイメージだが、こちらではこの季節でも掛けている人を見かける。私もずっと欲しいと思っているのだが、この人相でサングラスを掛けると冗談では済まないのでこればかりは我慢する外はない。度入りのサングラスというのはまた値が張りそうでもあるし。

空気もすっかり冷たくなったので冬用の厚手のジャケットを出してきて、春秋用の薄手のジャケットはクリーニングに出した。店は6月に話題にしたところと同じ近所の店である。

店へ行ってジャケットを見せると€6、と言われた。前回は€8払った記憶があるのでおかしいなと思い、傍にあった料金表を見るとやはり「giacca €8」と書いてある。それを指して、間違っているのではないかと言ったら、店主は、いや€6だと言い張った。

安く上がるのはありがたいが、理屈が分からないのは不安で仕方ない。そしてその不安はまた違う意味で的中するのであった。

二日後には仕上がっているとのことだったが、指定された日にはいろいろ用事があったので、夕方、あと30分程で閉店という時刻になって店へ赴く。すると私の顔を見た店主が、「ああ、あのジャケット!」と言って何やら慌てた様子である。何ごとかと思ったら、まだアイロンを掛けていなかったらしい。仕舞うものだから別に急ぐものではないし、この国の人ならそれくらいのことはあるだろうと理解しているので出直しても構わなかったのだが、ここからまたイタリア人らしいリカバリーを見せてくれた。

一瞬そのまま引き渡そうとしたのを私は見逃していないのだが、やはりプロとしての自制心が働いたらしく、決心するようにため息をついた後、ものすごいスピードでアイロン掛けを始めたのである。ちなみに作業場は店の外からでも丸見えの位置にある。

何十万もするブランド品ではないが、だからといって安いものでもない。気に入っているものなので最初はちょっと不安になったのだが、しばらく見ていると、まあ大丈夫か、という気になってきた。肝心なところではふっと速度が緩んで丁寧になるのである。やはりプロの手つきは違う。

私の母親は若い頃、洋服を作る仕事をやっていた。私が最初にアイロン掛けをやらされたのは、さて何歳のときだったか。一度仕込まれているとはいえ、長い間自分でやることはなかったのだが、私も着るものにこだわるようになってからはせっせとアイロン掛けをするようになっている。

母親は今でもなんやかやと自分で生地を買ってきては自作する。洋服だけではなく、帽子、鞄、椅子のクッション、枕カバー、終いにはトイレットペーパーのホルダーカバーまで作るので、家にはプロ仕様のごついミシン、そしてスチーム用の水のタンクが別体になっているのにそれでもやたらと重いアイロン、さらにはそれに付随する小道具が揃っている。物の価値が分かるようになってきたら、いい道具を見ると自分でも使いたくなってくるものであり、したがって私はアイロン掛け、とくにワイシャツのアイロン掛けについて語り出すとかなりうるさい。ただし、語ったところで誰も聞く耳を持たないし、人前で披露する機会のあるものでもないので、実際に語ったことはない。

そういえばこちらに持ってきているエプロン(イタリア語ではgrembiule)は、私がデザインして母親の指導の下に型紙を作り、生地については私が選定したものの、後はすべて母親に丸投げして作ってもらったものである。正面の生地は白、そして右サイドは深緑、左サイドは深紅の生地に切り替えてあり、要はイタリアの国旗を模してある。

これに食いついたのがマ氏であった。部屋に引っかけてあるこのエプロンを見て、これはイタリアで買ったのか、日本で買ったのか、と部屋に来る用事がある度に聞かれた。最初の頃は咄嗟に答えられず、もたもたしていたらすぐに話題が切り替わってしまっていたのだが、何度目のことだったか「これは私の母親が作ったのだ」と答えたところ、えらく考え込んだ表情になった。おそらく売っている場所が分かったら自分も買おうと思っていたのである。型紙は残っているはずだからもう一度作ってもらえるだろうし(ただし作っている最中に横からあれこれ口を出して細部を直してもらっているので、まったく同じ物とはならないが)、これは私が日本に帰る際、プレゼントとして置いていってもよいかもしれない。

例によって話が遠回りをしたが、店主の手つきを見ていたところ、高速でアイロンを動かしているのにジャケットの方はわずかに波打つこともない。スチームと力加減で適度にアイロンを浮かし、生地を傷めないように動かしているということだろう。背抜きのジャケットなので裏地はかなりばらつきやすいのだが、それをまとめる手つきも鮮やかであった。

そして前回も褒めたラペルの仕上げであったが、ここはハンガーに掛けて天井のレールから吊り下げた状態で裏側から手を当て、綺麗に立体的な曲線を付けながらアイロンを掛けていたのである。当然素手での作業であるし、裏側からといってもラペルという物は下へ行くほど細くなるので、素人では危なくてとても真似のできるものではない。これは想像もつかなかった。

仕事を忘れていたのはプロとしてどうかと思うが、イタリア人としては問題なかろう。そしてその技の方はというとこれは紛れもなくプロのものであった。こんな機会でもなければ一生見ることもなかっただろうし、とにかく面白かったので、仕上がったところで、Brava!と言葉を掛ける。皮肉は一切ない。ちなみにイタリア語ではこのBravoという形容詞も性と数によって変化させなければならない。ここの店主は女性である。

私の褒め言葉に、店主は決まり悪そうに頭を下げた。イタリア人にお辞儀をする習慣があるとは聞いたことがないが、こちらが日本人だと知れているからだろうか。

今回のことはいいネタになったからよしとするが、しかし現在着ている冬物のジャケットはどうしたものか。日本に帰る前に一度クリーニングに出す気でいたのだが、イタリア人の仕事というのは良くも悪くもイタリア人の仕事である。

職人技とズボラなスケジュール管理が概ねセットになっているのはどうにもならないものなのだろうか。それとも、ちゃらんぽらんに生きているから、ギリギリになって辻褄を合わせるために高度な技術が必要になるということなのだろうか。イタリアというのは本当に愉快な国である。