冬の到来について

SAN MARTINO
ヴェネツィアとその後背地にだけ見られるお菓子、サン・マルティーノは11月の11日、この聖人の祝祭にあたって作られます。その馬にまたがった騎兵の形はある伝説にちなんだものです。

その昔、警備の任務に当たっていた古代ローマの兵士マルティーノは、巡回の最中に半裸の乞食に出会いました。そこで彼は自分のマントを二つに裂き、それをその物乞いに与えたのです。次の夜、夢の中にイエスが現れ、彼にお礼の言葉を述べました。そして彼が再び目覚めたとき、彼のマントはすっかり元の通りになっていたのでした。

この聖人の聖遺物が同じ名前の教会に保管されていたので、この祭りはヴェネツィアにおいて特に盛んで、今でもヴェネツィアの子供たちは鍋や蓋を打ち鳴らしながら歌を歌い、代わりに小銭や駄菓子を貰いながら家や商店を巡ります。この祭りの期間中にヴェネツィアの人々は皆、サン・マルティーノという柔らかいパスタ菓子を食べるのですが、多くのマンマたちは紙の上でその形を切り抜き、子供たちと一緒に飾り付けをしながら我が家でそのお菓子を作るのです。

久しぶりに家主の本、というわけではなく、これはヴェネツィア料理の本からの引用である。多くの人が引っかかったと思うのだが、イタリア語でパスタというのは小麦粉で作ったものすべてを指す言葉である。スパゲッティ、ヴェルミチェッリ、ブカトーニ、リングィーネ、カペッリーニ、フェデリーニ、キタッラ、パッパルデッレ、ストロッツァプレーティ、ニョッキ、テスタローリ、カヴァテッリ、ガルガネッリ、トロフィエ、オレッキエッテ、フェットゥチーネ、ラザーニャ、ラヴィオリ、タリアテッレ、ファルファッレ、ペンネ、リガトーニ(以上、日本人が想定する方の「ぱすた」の種類だが、おそらくこれでもまだ十分の一にも満たない)だけではないのだ。イタリア語ではtortaケーキもbiscottoビスケットもcornettoクロワッサンもまたパスタであり、菓子屋のことはpasticceriaという。

故あって最近また料理の勉強に無駄な力が入っているのだが、新しく買った本をぱらぱらと眺めていて目に留まったのがこのサン・マルティーノである。この菓子の騎兵の形を抜くために使う、30cm四方程度の巨大なプラスチックの型が雑貨屋で売られているのはしばらく前から目にしており、一体何なのだろうかと気になっていたのだが、実はこの料理の本を買って帰るちょうどその道すがら、その型を買って帰る親子を見かけていたのであった。そしていざ分かってみると、街中のあらゆるパスティッチェリーアでこのお菓子が売られているのが目につく。値段はおおむね€20前後だが、中には€40くらいするものまである。

サン・マルティーノの祝日である11月11日の直前にこのレシピに出会ったのも奇縁である。これも聖人のお導きか、と思ったので、アルセナーレの近くにあるサン・マルティーノ教会へ足を運んでみた。例のブチントーロの模型を売っていた店のすぐ傍であり、最近の散歩コース沿いなので迷うことはない。サン・マルコ地区周辺は用事がなくてあまり近づかないため、その辺りで細い道に入ると今でもちょっと怪しいが、基本的にはもうヴェネツィアで道に迷うことはない。

この聖人の伝説については聞いたことがあったような気がする。改めて検索してみると話の細部がそれぞれに異なっているようだが、イタリアでなくとも伝説というものはそういうものなので仕方ない。

「この聖人の聖遺物が同じ名前の教会に保管されていた」というのは、過去の継続的な状態を表すイタリア語の「直説法半過去」の受動態で書かれている。また伝説の部分は、現在と関わりを持たない遠い過去を表す「直説法遠過去」という時制で書かれているのだが、日本語に訳すときにはこの違いをどう表したものだろう。ちなみにイタリア語の時制には直説法、命令法、条件法、接続法などの分類を除いても現在、近過去、半過去、大過去、遠過去、先立過去、未来、先立未来、ジェルンディオを使った進行形、とあるのでこれ以上の詳しい説明は勘弁してほしい。

ともあれ、現在はここに聖遺物がないということなのか、と考えながら教会に入り、それらしきものはないかと一巡してみるが、ちょっとまだよくわからない。なにしろ宗教施設というものは見るのに気を遣うものである。聖アントニオ聖堂のように、これでもか、と自慢するように展示されていれば分かりやすいのだが。

そういえば、サン・マルコ大聖堂の方には聖マルコの遺骸が収蔵されているということになっている。アレクサンドリアからそれを運んできた(盗んできた)ときの伝説は非常に有名なもので、大聖堂の表のアーチにもそのときの様子が描かれていたりするのだが、では現在その遺骸は大聖堂のどこにあるのか、ということに関しては聞いてはならない。私もこれ以上の説明は控えよう。

入口の傍で教会のガイドが売られていたので覗いてみると、古代のヴェネツィアの地区区分図が載っていたのですぐさま購入する。この古代の地区名は家主の本にぽつぽつ出てきていたのだが、もともと土地勘がないのでその記述だけでは今ひとつ自信が持てなかったのである。それはそうと、このガイドによるとここには聖マルティーノのチュニカ、指の骨、脛骨が収められていたとのことだが、脛骨は教会の修復代のカタにヴェネツィア内の他の教会に預けられ、聖人の祝日にだけ行列を組んでサン・マルティーノ教会へ戻ってきていたとのことである。しかしこれも大過去で書かれており、結局今はどうなっているのか分からない。

翌日から始まって一週間ほど続く祝祭の日程を記したパンフレットも置いてあったので一つ貰って帰る。と、11日には子供たちが路地を巡ってお菓子を貰うという例の百鬼夜行があるようだ。

11日の夕方になってから市中へ出てみる。あらゆるcalli(路地の複数形)に鍋の蓋と玉杓子を手にした子供たちが跳梁跋扈し、けたたましい金属音と喊声に覆い尽くされたヴェネツィア全域は阿鼻叫喚の巷と化す、というような展開を期待したいところだが、さて、高齢化の進むこの街にどれほどの子供が居るものか。

案の定、子供たちは多くても四、五人のグループで、かならずベビーカーを押した親がついていた。ほぼ日本でいう未就学児童に限られるようで、完全に大人の統制下にある。ほほえましいものではあるけれども今ひとつ物足りない。バールやオステリアでジュースやお菓子を貰ったり、タバッキでアメ玉などを貰ったりしているのは分かるが、しかし中には化粧品店を強襲しているグループもあった。ここでは一体何が貰えたのだろう。

あちこちのカッレを歩いてみるが、サン・マルコ地区のメルチェリーアといわれる辺りで値段も態度もお高くとまっている店舗を狙うグループはやはり少ないようである。数日前から冷え込んでラグーナにはずっと霧が出ているのだが、観光客の姿もまばらなスキアヴォーニには鍋の金属音も届かない。静かな岸辺から霧にかすんだジュデッカを眺めていると、この聖人の祭日は冬を知らせる合図でもある、という話を思い出した。

きちんとお歌を歌ってからご褒美を貰っているグループはほとんど目にしなかったが、リアルトに戻ってみると、商店のおばちゃんのほうが音頭を取って子供たちを歌わせているという場面を目にする。伝統というものはこうやって大人がきちんと伝えていかないといけない。

といったところで、私自身は子供たちに受け継いでもらえるような伝統を何かしら身につけているのだろうか、と考えて少々寂しい思いになった。以前、私は県単位のナショナリズムを持たない、と書いたことがあるが、郷土愛なるものを持てないことの裏返しとして、余所者であることには慣れているはずである。よってこの街でも心許ない思いをしたことはないのだが、生まれた土地に自分の拠り所を置いて頑固なまでに揺らがないイタリアの人々を見ていると、そういう人たちがなんだか羨ましいようでもある。